バイク旅って、目的地を決定するまでの時間ってのが一番楽しかったり、あるいは大変だったりしますよね。とくにこの寒い時期は強い目的意識がないとなかなか遠乗りしようなんて思わないもの。
そんなわけで、その「きっかけ」になるかもしれない? 「rider」の前身の雑誌、frmに掲載された
旅の記事をときどき紹介していこうと思います。一発目は、静岡は「とろろ」の老舗、丁子屋さんに行ったときの話です。以下、frm vol.58「街道下道5デイズ」から抜粋です。

丸子宿へ


 府中宿と呼ばれていた静岡市内を出て、東海道を西へと向かう。次の宿場は、一里半先の丸子宿だ。五十三次二十番目の宿場で、丸子と書いて「まりこ」と読む。
 丸子には、十返舎一九の東海道五十三次で「とろろ汁屋の夫婦がケンカをしていて、名物のとろろ汁を食いそびれた」というエピソードに登場するとろろ汁屋があるそうだ。
 丁子屋という店で、開業はなんと慶長元年、1597年。江戸時代より前の安土桃山時代に始まった店というから驚きだ。1189年に源頼朝からこの地を与えられた侍が開いた丸子宿の近隣では自然薯がとれ、地元の人の食材、また薬として重宝されていたそうだ。
 1597年に丁子屋へいきちという人が、とろろ汁をふるまう茶屋を始めたことが現在も営業している丁子屋の始まり。
 江戸時代に入ると東海道の交通量が増えたことで丸子宿は賑わう。1691年には松尾芭蕉が丸子のとろろ汁の句を詠み、その後、十返舎一九が東海道五十三次で紹介。さらに安藤広重が東海道五十三次絵図でも丁子屋を描いたことで、さらに有名になった店だ。

昔はこんな感じだったわけですね。で、未だに店が続いているというのが凄い。

素朴だが深い味わい

 店は国道1号線沿いではなく、現在は県道208号線となっている旧東海道沿いにあった。大きな藁葺き屋根の下にとろろ汁と書かれた大きな提灯があるのですぐにわかる。軒先には毛氈が惹かれた縁台があり、そこでヘルメットとレインウエアを脱いで店に入った。
 平日、月曜日にも関わらず人がひっきりなしに入ってくる。引き戸を開けてわらぶき屋根の屋敷に入ったところではなく、廊下を渡った先の別棟の座敷に案内された。四十畳はあろうかという大広間に、立派な座卓がたくさん並べられている。どこでも好きなところでと言われたので、壁によりかかれる席に座らせて頂いた。
 定食はとろろ汁と麦ご飯、味噌汁とシンプルな「丸子」(1440円)をベースに、自然薯の揚げ物や刺身がつくバリエーションメニューが全5種類。単品メニューもある。僕は刺身もつく「駿河」をオーダーした。
 しばらくすると、麦ご飯の入ったおひつととろろ汁、茶碗、味噌汁が運ばれてきた。おひつのなかの麦ご飯は茶碗四杯くらいある、十分過ぎるほどの量。
 麦ご飯、とろろ汁も名物だけあって美味しかったが、この定食に含まれる自然薯の揚げ物がじつに美味しかった。とろっとした食感とほどよい塩味。また、タタミイワシの佃煮、むかごの煮付けもとても美味! ダイエットをかねて日頃はご飯を控えているのだが、素朴だけど味わい深いおかずのおかげで、おひつの麦ご飯はすべて平らげてしまった。

素朴ですがとても美味しいです!

心にしみる優しさ


 食事を終えて会計に向かうと、給仕をしてくれていた女性が「雨のなかバイクだと大変でしょう」と話しかけてきてくれた。「そうでもないですよ」と答えると「前が見にくいでしょうから気をつけてくださいね」と。朝に続き、なんでもない会話だけど、ひとり旅だとこうした人の優しさは本当に身にしみる。
 とくにバイク旅で、さらに雨だったりすると、親切にされる率は急上昇する。雨のバイク旅は確かに大変だが、大変なだけでなく、いいこともあるんだなと実感した。会計後は、店内に展示されている東海道五十三次に由来する絵などをしばらく見た後に失礼した。
 店を出ると雨は少し小ぶりになっていた。どんよりと曇った行き先の空の下には、東海道の難所と呼ばれた宇都ノ谷峠があり、それを越えると岡部宿、藤枝宿へと至る。
(以上、frm vol.58「街道下道5デイズ」より抜粋)

……いかがでしたか? 美味しかったですよ! じゃあ、行ってみますか!