飢えた野心。それしかない。

「太陽がいっぱい」は、1960年のフランスとイタリアの合作映画だ。主演は、アラン・ドロン、監督はルネ・クレマン。


ストーリーは単純で、金持ちをドラ息子を殺害して、その資産と美しい婚約者を奪おうとする青年のクライムサスペンス。美貌と才能に恵まれながら、下層階級の生まれであるがゆえに貧しさから脱することができない青年の、哀しくも激しい闘争の話である

Plein Soleil(Purple Noon - 太陽がいっぱい)-Tom vs Philippe-Alain Delon

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貧乏なアメリカ青年トムは、金持ちの息子フィリップを連れ戻すため、ナポリにやってきた。フィリップにねたみを覚えたトムは、殺して裕福な生活を手に入れようとする。そして計画どおり殺害し、自殺に見せかけるが…。
原作は、パトリシア・ハイスミス。緊迫感あふれるサスペンスストーリーと、キレ味の鋭いどんでん返しがみごとだ。まばゆい地中海の太陽と海の輝きを背景に、屈折した青年の鮮烈な青春像を浮き彫りにする。主演のアラン・ドロンは、この映画でスターの地位を不動のものにした。冷酷なフィリップを演じるモーリス・ロネ、その恋人を演じるマリー・ラフォレの美しさも見ものだ。監督は名匠、ルネ・クレマン。アンリ・ドカエによる美しい映像と、ニーノ・ロータによる忘れられない名旋律が印象的である。(アルジオン北村)

主人公トム・リプリー(アラン・ドロン)は、富豪の息子フィリップの金と婚約者を奪おうと決意する。

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実際に黒い噂が絶えなかったアラン・ドロン

主人公のトムを演じたアラン・ドロン自身、トムと変わらない下層階級の出であり、名うての不良少年だった。ただ、犯罪を犯さなくても、彼の場合は、自身の美貌を生かす、銀幕のスターという手段と機会に恵まれただけ、と言えるかもしれない。
実際、彼はその生まれのせいもあるだろうし、演じてきた役柄(暴力でのし上がろうとするマフィアの青年など)の影響もあって、しばしば暗黒街との付き合いを喧伝されている。


例えば、1968年には、アラン・ドロンの元ボディガードとその妻が殺害され、その犯人として容疑をかけられたのが彼の当時のボディガードのマルコヴィッチだったため、その教唆犯としての嫌疑をかけられている。さらに、1970年には、マルコビッチが射殺される事件がおこり、その重要参考人として、事情聴取を受けているのだ。
(最終的にはいずれも証拠不十分として、お咎めなしとなるのだが)


このように、野心を隠し、昏い狂熱に導かれながら犯罪に走る「太陽がいっぱい」のトム・リプリー役は、アラン・ドロンのはまり役であったのだ。

野心を正しく抱えられる時代に

2000年代の日本は、生まれや学歴などを超えて、出世を目指すことは難しかったのかもしれない。
しかし、いまではスタートアップといって、ITやバイオ、3Dプリンティング技術によるハードウェア製造など、数多くのビジネスチャンスがあり、そこでアイデアと才能さえあれば、新しく自分の企業を起こし、一攫千金を狙うことができる環境が揃ってきている。


資金がなくても、投資家との出会いの場も、オフィシャルに多く準備されている。同時に、成功した起業家は、結果として納税と雇用の機会を生み出すから、社会的に大義名分も用意されているのだ。
つまり、野心を持ち、その実現に懸命になることが、社会正義として認められる時代なのだ。
いまこそ、遵法精神に富んだトム・リプリー、正当な手法としての「太陽がいっぱい」の時代がきているのである。

ぜひ、60年近く昔の本作をいまこそ観て、当時の若者の無念を思ってほしい。
自分たちが恵まれていることを理解したうえで、一発勝負に出てもらいたい。