不寛容社会

新しい年が始まった。昨年を振り返ると世界的に「不寛容社会」が広まっていることが懸念された一年だった。

「誰かが不快に思うならその表現は認めない」

思えば昨年1月始めにパリで起こった新聞社襲撃事件でスタートした昨年。イスラム教からしたら認められない表現が悲劇の原因だった。宗教は長い人類の歴史で常に戦争の原因になってきた。しかし,個人が大きなパワーを持ってしまった現代。国と国との戦いから個人中心のテロ組織が不快に思ったらテロができてしまう状況が生まれた。そして相手を認めない暴力が年末のパリを血の海にした。

正しいことをしている意識の危険さ

日本は平和だ。少なくともパリのようなテロはおきない。そう感じている人も多いかも知れない。しかし,日本にも不寛容社会は確実に訪れている。それは一見,セクハラだ!差別だ!という正義を振りかざして行われる。

昨年は萌えキャラのポスターなどにすぐクレームがついてポスターのデザインが変更される事態などが相次いだ。うどんかるたの「色白太め」という表現すらクレームがついた。確かにこれらを見て嫌な気持ちになる人はゼロでは無いだろう。しかし,個人の感情全てを配慮していたら社会は成り立たない。支持する人と支持しない人で常に議論をしていくことが民主主義だ。

○○ハラスメントはどんどん生まれている。そしてそれは弱者を助けるためという名の下に正義を振りかざす。しかし,自分だけが正しいから相手の表現を消滅させることはテロリスト達が暴力で口を塞いでいることとやっていることは変わらない。原発反対も集団的自衛権反対を唱えるのもおおいに結構だが,相手を認めないというスタンスは危険だ。ファシズムはそれを集団心理に押し上げて生まれたことを20世紀の教訓として絶対忘れては行けない。

退廃的に,寛容的に

例え不快に思う人がいたとしても,直接的に相手を傷つけない表現ならどんどん行うべきだ。セクシャリティや官能の世界はセクハラや公衆道徳の名の下に特に厳しくされやすい。高齢化社会になり,官能さを持つ若い肉体にジェラシーを持つ老齢男女が増えればますますその傾向は高まるだろう。しかし,SEXは人を殺さない。むしろ生命を誕生させる行為である。人類繁栄のために,今年もさらなる退廃主義の拡大を目指して頑張りたいと思う。