1983年にキング・ケニーことケニー・ロバーツ(ヤマハ)との接戦を制し、ホンダに初のグランプリ最高峰のライダータイトル(500cc)をプレゼントし、1985年にはグランプリ史上初の250/500ccのダブルタイトルを獲得したヒーローが、アメリカのフレディ・スペンサーです。

あなたはホンダ以外に乗るスペンサー、どれだけ覚えてますか?

古くからのロードレースファンならば、誰もがスペンサーの凄さを今でも覚えているでしょう。そして記憶の中の"ファスト・フレディ"はいつも、CB-Fスーパーバイク、NS500やNSR500などのホンダ製ロードレーサーとともにあるイメージでしょう。

1980年から1993年の間、スペンサーは世界ロードレースGP(現モトGP)で活動しましたが、その全てがホンダに乗っていたわけではありません。またGP参戦期前後の時代も、ホンダ以外のマシンで活動したりしていました。今回は、そんなホンダ以外に乗るスペンサーを集めてみました。

1980年のデイトナで、ヤマハTZ750に乗るスペンサー。アーブ・カネモトが手がけたハワード・レーシングの車両を委ねられた18歳のスペンサーは、ライバル相手に大きなリードを築きましたが、残り13周で焼き付きが発生。勝利はパトリック・ポンス(ヤマハ)に奪取されました。

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引退を撤回し、スペンサーは1989年にマールボロ・アゴスチーニ・ヤマハと契約。YZR500に乗りましたが、年間ランキング16位という成績に終わりました。1993年がフレディ最後のGP参戦年ですが、この時はヤマハ・オブ・フランスのYZR500に乗りました(完走はイタリアGP1戦のみで、年間37位)。

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1979年、カワサキZのスーパーバイクに乗る、AMA #8時代のスペンサー。スペンサーにとって、初の"ファクトリー"のロードレーサーはカワサキでした。シアーズ・ポイント、ラグナセカで勝ったスペンサーは年間3位に食い込みます。なお、シアーズ・ポイントで勝った時スペンサーは18歳と8か月で、これはAMAスーパーバイクの最年少勝利記録でした。

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1979年、3月のデイトナ・スーパーバイクでは、レノ・レオーニがチューニングしたドゥカティVツインに乗りましたが、ギアボックスの不調でリタイアしております。

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1979年のデイトナ・スーパーバイクでは、予選時にモトグッツィのVツインも試していました。

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1991年、1992年はAMAスーパーバイクに参戦(ホンダ)。それぞれの年で1勝ずつ記録したスペンサーですが、ロードレーサー・キャリアから引退を発表する1996年の前年・・・1995年には、ファスト・バイ・フェラッチのドゥカティを駆り、ラグナセカラウンドで優勝を記録しました。

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やっぱり"ホンダのスペンサー"が見たい、という方が多いでしょうね。

すみません、1978年にスズキGS750でAMAスーパーバイクを走るスペンサーの写真は、私の能力不足で見つけられませんでした・・・。でも、やっぱりスペンサーと言ったらホンダ!という人は多いですよね(私もそうです)。ということで、最後はホンダのスペンサーのムービーをお楽しみください。

Fast Freddie

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The Double - Freddie Spencer, double world champion!

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