日テレスタジオ建設に反対する母親達

日テレが麹町に建て変えるスタジオ建設に近隣の女子学院の親達が反対していると報道がされていた。タレントが来ると子供達が舞い上がって勉強が手に付かなくなる,下品なファン達がやってくるというのが反対理由らしい。

当の生徒達は賛成も多いらしい。女子学院と言えば難関な学校であり優秀な生徒が多い。隣の芸能人がよく来るスタジオができたくらいで学力が下がるとも思えない。

ようするに頑張ってお受験を乗り越えた我が子のそばに近づけたくないものは極力排除しようという考えだろう。

子供にジェラシーする母親達

お受験ママに多いのは子供こそが自分のアイデンティそのものであることだ。しかし父親が自分が果たせなかった夢を子供にかなえて欲しいというようなロマンチックなものでは無い。母親のそれは子供の成功そのものが自分自身の成功であると同時に,自分を越えた幸せまでは与えたくないという屈折した心理だ。

戦後の日本の女性達は解放を言われながらも,欧米のウーマンリブほどの社会運動にはならず狭い社会に押し込められた状態できた。少なくとも今の母親の年齢の女性達は残念ながら社会の中で自己実現を果たすことはできず,かといって,欧米を真似た日本型核家族で幸せを感じることはできない。結果的に全てのアイデンティと恨みが子供に向かう。

受験という名のわかりやすい代理出世競争は自分を納得させやすい構造だ。一方で恋愛を楽しんだり,性的解放をされることは圧倒的なジェラシーを持って阻止したいのだ。自分ができなかった性的解放,実は心の奥底で望んでいたかも知れない官能的なSEXは,おばさんとなってしまった自分に今から起こる可能性は限りなくゼロだ。

だとした時にそれを子供が体験することは同性として許し難いものだ。それは修道女のシスターの教えにも匹敵する。

負の連鎖を断ち切れ

こうした母親に育てられた女子の向かう道はふたつだろう。ひとつは反発して自分は解放される。もうひとつは同じような母親になることだ。残念ながら日本社会は真面目な女子が多いため,後者のように自分が再び同じような母親になるという負の連鎖がおきやすい。今こそ男子達はこうしたお嬢様学校を卒業した女性達を解放し,退廃主義の世界に連れ込むことでこの負の連鎖を断ち切ろう。
母親達は絶望するだろうが,そればかりは仕方無い。ただまだ40代の母親であれば間に合うかも知れない。退廃主義紳士にいつどこで出会ってもよい準備をして朝の下着を選ぼう。自分自身が退廃主義の世界を知ることが出来る可能性はそうした心がけから生まれるものだ。