かつて世界ロードレースGPで無敵を誇ったMVアグスタ・ファクトリーチームを率いたアルチューロ・マーニが90歳でお亡くなりになったそうです。MVアグスタがGP、そして2輪事業から撤退してからは、自身のブランド、「マーニ」を創設。当初は量産MVアグスタ4気筒をベースにしたスペシャルバイクを製造販売していましたが、その後ホンダ、BMW、モトグッチ、スズキなどのエンジンを搭載したスペシャルを手がけるようになり、世界のエンスージャストを魅了しました。

技術者として、マネージャーとして、才能を発揮。

アルチューロ・マーニと、GPで無敵を誇ったMVアグスタ4気筒。

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イタリアのジレラ4気筒を開発した天才エンジニア、ピエロ・レモル技師がMVアグスタに引き抜かれた後、マーニは彼の後を追うように1950年にMVに移籍します。それから彼はMVアグスタのレース部門のマネージャーとして、1976年まで活躍します。

MVアグスタのエースとして、数多くのGPタイトルを獲得したイタリアの英雄、ジャコモ・アゴスチーニ。マーニは多くの優れた乗り手をマネージャーとしてスカウトしましたが、アゴスチーニもそのひとりです。

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古巣のジレラが1957年限りにGPから撤退してからは、MVアグスタの黄金時代が到来しました。J.サーティーズ、G.ホッキング、そしてM.ヘイルウッドを擁するMVチームは、最強のGPチームとして1950年代末から1960年代半ばまで、世界にその名声を響き渡らせました。

1962〜1967年の間、ホンダが350、500ccクラスにシリアスな挑戦をした期間は、MVは新型の3気筒をエースのアゴスチーニに託して対抗。350ccクラスではホンダにタイトル争いで敗れましたが、当時の最高峰クラスである500ccクラスでは、1966年にホンダにマニュファクチャータイトルを一度奪われただけで、それ以外のタイトルは見事防衛しています。

イモラ200マイルレース用のF750レーサーのテスト時に写された、アゴスチーニとマーニの姿。

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イタリア人としての人生を全うした男。

1976年のMVアグスタ2輪事業撤退後、マーニが自身で興したブランド「MAGNI」から生み出された作品は日本でも紹介され、日本のエンスージャストに愛されました。

1989年に発表されたマーニ・スフィーダ1000は、日本で一番ヒットしたモデルです。1950年代初期にMVのシャフトドライブ採用GPマシンに採用された特殊なスイングアーム(パラレログラモ)をアレンジし、モトグッチVツインのシャフトドライブに組み合わせています。当時の本家ルマン系よりもハンドリングに優れたモデルとして評価されました。

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GPを席巻した伝説の3気筒の再来、として昨年発表され注目を集めた「マーニ・フィロ・ロッソ」。現行のMV3気筒800ccエンジンを、かつてのMVグランプリバイクを彷彿させるシャシーに搭載しています。

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個人的な思い出ですが、私は今から20年近く前、来日した氏に仕事でインタビューをしたことがあります。GPの公用語ともいえる英語があまりうまくないのは意外でしたが、常にイタリアをベースに活動し、イタリアン・メーカーであることにこだわった氏は、外来語を積極的に覚える気が無かったのかもしれません。

ドゥカティのレース活動を支え続けたフランコ・ファルネに続き、イタリアのロードレース界のレジェンドが今年亡くなってしまったことは本当に残念です(昨年はビモータで活躍したマッシモ・タンブリーニとフェデリコ・マルティニもお亡くなりになりましたが・・・)。氏のご冥福をお祈りいたします。

Arturo Magni - Dedicato a Giacomo Agostini

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