みなさんはホンダが1970年代末〜1990年代に開発したホンダNRをご記憶でしょうか? 楕円ピストン(正確には楕円ではありませんが)を採用したNRはそもそも、2ストローク4気筒が主流だった時代の世界ロードレースGP(現モトGP)最高峰クラス500ccクラスに、ホンダが4ストロークであえて挑戦する、ということで生まれました。
気筒あたり8バルブ! バルブを増やすための楕円ピストン。
同じ排気量なら、ピストンが上死点にきたとき毎回爆発する2ストロークは、上死点到達時の2回に1回しか爆発しない4ストロークよりもパワーを引き出すことができます。要するにレーシングモデルとしては、2ストローク相手に4ストロークは圧倒的に不利なことになります。
無理を承知でホンダは2ストロークに4ストロークで挑んだワケですが、その武器として考案された楕円ピストンは、吸気・排気バルブを通常の円柱状のピストンよりもいっぱい並べることができることが大きなアドバンテージでした。
日の下に新しきものなし?
バルブをいっぱい並べることができること・・・それはすなわち、吸気・排気バルブの面積が、通常の円柱状のピストンよりも大きく稼げることになります。当時の世界ロードレースGPのレギュレーションでは、500ccクラスの気筒数は4気筒までと定められていました。
現代の高性能4ストロークエンジンの多くは、気筒あたり吸気2本・排気2本の計4バルブ方式を採用しています。NRの楕円ピストンは、4バルブの倍の8バルブを1気筒に与えるために生まれたデザインと言えるでしょう。
多くの書物には、ホンダNRは初のオーバル(楕円)ピストン・・・と記されていますが、それは半分正解で、半分は誤りと言えます。NR以前にも、非円柱状ピストンの実験はあらゆるメーカーや研究者の間で行われておりました。こちらに紹介するのは英国の専門誌、「MOTOR CYCLING」の1943年12月号の記事です。
この、トライアンフ単気筒を改造した実験用楕円ピストンエンジン(550cc)の考え方は、2バルブ方式のままではありますが、バルブ面積を気筒あたり最大に稼ぐ・・・という点では、ホンダNRと同じと言えるでしょう。まさに、Nothing like under the sun・・・『日のもとに新しきことなし』。旧約聖書(There is no new thing under the sun.)由来の諺ですけど、すべてのモノは新しくない・・・神様を含む誰かが考えているのでしょうね。
それでも、実用化したホンダはやはりスゴイです!
いろいろ興味を持って、通常の円柱形ピストン以外のことを調べてみましたが、バルブ面積を稼ぐために楕円に限らず、四角のピストンとか、いろいろなアイデアは、内燃機関が登場、そして初期の発展をした20世紀前後の時代から登場していたみたいですね(第一次大戦期には、ドイツの航空機用エンジンにも楕円ピストンがあった・・・という情報もありましたが、私のリサーチ能力不足で真相にはたどり着けませんでした・・・すみません)。
しかし、過去に例があるということは、ホンダNRの今日の評価には大きな影響を与えることはないでしょう。アイデアは誰もが思いついたとしても、それをロードレースの舞台で完成させて実戦投入し、そして量産市販車の舞台で製品化できたのは、ホンダのみです。この揺るがない事実は、誰にも覆すことができないのですから・・・(ロードレーサーとしてのNRの評価、量産公道車としてのNRの評価は、また別として・・・)。
みなさんの中には、「なんでバルブ面積を円柱状のピストンより、バルブ面積を稼げる楕円ピストンは普及しないの?」と思われた方も多いでしょう。ひと言で言いますと、デメリットが多すぎるからです(←大雑把すぎてすみません)。ピストンとシリンダー間のシール性(気密)を確保しにくい、生産にコストが通常の円柱状のピストンより多大、製造に専用の工作機械が必要・・・などなど、そのデメリットをあげるのには枚挙に暇がありません。
ホンダが楕円ピストンを選んだのは、ロードレーサー時代のNR500については先述のとおり当時のレギュレーションの中で最大の効果を狙った結果であり、1992年の量産公道車のNRについては意地で市販化した・・・としか言えませんね(お叱り覚悟で言い切ります?)。まぁ普通の円柱型のピストンの方が、いろんな意味で良いのです。
余談ですが、量産公道用NRが生まれるちょっと前の1990年には、今違う話題で巷を賑わせているフォルクスワーゲンが、こんなオーバルピストンのディーゼルエンジンを公表しておりました。
製品化されたモノ以外も、メーカーはいろんなエンジンやシャシーを試作しています。私たちは、結局のところ製品化されるまで、メーカーがどのような考えでモーターサイクル、またはクルマを開発しているか確信を持って知ることができません。誰もが思いつくようなコトを、市販化できる品質・信頼性までに高めるメーカーの努力は、私たちの想像の上を行っているのでしょう。これからどんな製品で、作り手の人々は私たちを驚かせ、感動させてくれるのか・・・楽しみに待ちましょう。