ケルト文化の祭であるハロウィーン。
そもそもハロウィーンは、古代ケルト人のお祭りです。10月31日が1年の終わりで、日本のお盆みたいに死者の霊が訪ねてくる・・・おまけに魔女やオバケの類も来ちゃうので、身を守るため仮面を被って魔除けの焚き火をする・・・そういうお祭りなのです。
現在ハロウィーンは、ケルト文化の影響の強いアイルランドや英国連邦、そしてアメリカで盛んです。なおキリスト教とはカンケーない文化ですので、厳格なキリスト教信者の中には、ハロウィーンやりません、という人もいるそうです。
ところで、かぼちゃで作ったジャック・オー・ランタンのオレンジ・・・実はこれ、ハーレー・ダビッドソンのレーシング・カラーの元になっているってご存知でしたか?
黒=悪のイメージの払拭。
そもそも、ハーレーがレーシング・カラーを決めるきっかけになったのは、アメリカのAMA=American Motorcyclist Associationからの要請でした。アメリカのホリスターという田舎町であったバイカーの暴動(ホリスター・ライオット)を元に製作された大人気の映画、『乱暴者』(あばれもの、1953年、原題:The Wild One)の影響で、彼の地では黒革ジャケットのバイク・ファッション=悪というイメージが定着しつつありました。
全米モーターサイクリスト協会ことAMAとしては、モーターサイクル=悪というイメージを当然払拭したい想いがありました。そこで、若者に人気の高いモータースポーツの世界においては、明るい印象を与えるカラーを用いることを、当時アメリカでモータースポーツ活動をしているメジャーブランドに要請したのです。
第二次大戦後、本格的にアメリカ市場へ進出していた英国のトライアンフは青/白、BSAは赤/白を選びました。1950年代はまだ、レザースーツ=黒が当たり前の時代でしたが、次第に染色技術が発展し、1960年代になると黒以外のレザースーツも普及するようになります。
そして、アメリカの唯一のメジャー・メーカーとなったハーレーは、オレンジ/白/黒をレーシング・カラーに選択しました。その理由は、ハーレーの新しいレース部門の長に就任したディック・オブライエンが、ハーレーに加入したのが1957年の10月・・・ハロウィーンの季節だったから・・・なのです。
ええ! そんな理由で?・・・と、この話を初めて聞いた時、あまりの単純さに驚いてしまったのですが、いろいろ調べてみると、なるほど、そういうことなのかな・・・? と思うようになりました(あくまで個人的なフニオチ=腑に落ち感ですけど)。
なぜ、この色をオブライエンは選んだのか?
1957年から1983年まで、ハーレーのレース部門の長として活躍したオブライエンは、なぜハロウィーン由来の色を選んだのでしょうか? 確かにお祭りではありますけど、悪魔のルシファーなどが登場するハロウィーンは縁起を担ぐほど、世間的に良いイメージがあるわけでもありません。
1921年にニューヨークで生まれたオブライエン・・・その苗字から想像するに、彼はアイルランド系のアメリカ人なのでしょう。アイルランドはハロウィーンを祝う習慣が強く残っているので、その辺からオブライエンにはハロウィーンに対する思い入れがあったのかもしれません・・・。
ブラックレザー=悪という世間のイメージを払拭するため、AMAがメジャー・メーカーに要請したレーシング・カラー制定ですけど、そこであえて「黒」を使うところにオブライエンのユーモアみたいなものも感じます・・・真意は定かではありませんが・・・。
BOTTでも、アイルランドネタ?が使われました。
1970年代のAMAロードレースは、日本製2ストローク勢が猛威を振るうことになりました。XR-TTではもはや対抗不可能という判断から、ハーレー・ファクトリーは1974年以降のロードレース活動を停止することになりました(欧州GPでは、2ストローク2気筒のRR250/350が大活躍しましたが・・・)。
AMAロードレースにおけるハーレー・ファクトリーの復活は、1980年代のデイトナBOTT(バトル・オブ・ザ・ツインズ=4ストローク2気筒車のみのレース)がその舞台になりました。1973年のデイトナ200マイルで炎上した、マーク・ブレルスフォード車を倉庫から引っ張り出し、市販車XR1000のエンジンをチューニングしてこれに搭載。そして足まわりは、当時最新のスペックに刷新されました。
XR750の生みの親・育ての親といえるオブライエンは、このBOTT用レーサーに「ルシファーズ・ハンマー」という名前を授けました。この名はアイルランドの古い民話に由来するもので、異民族に占拠された村を壊滅するために、悪魔が放った彗星のことを示しています。
1970年代末〜1980年代初期・・・黎明期のBOTTは、ドゥカティ、モトグッチ、BMWなど、欧州メーカーのマシンが大活躍していました。そんな異民族のマシンを駆逐する怒りの鉄槌・・・そんな意味も込めてのネーミングだったのかもしれません。
もっとも、ネーミングのアイデア元はオブライエンの再婚相手と言われており、もしかしたら彼女は1978年に発表され人気を博したSFノベル、"Lucifer's Hammer"からインスパイアされたのかもしれませんけどね・・・真意は定かではありませんが・・・(←コレばっかですみません)。
1983年末から、ジーン・チャーチがルシファーズ・ハンマーのエースライダーとなります。チャーチは1984年、1985年のデイトナBOTT勝利、そして1984〜1986年の間、3年連続BOTTシリーズタイトルを獲得するなど大活躍しました。
ルシファーズ・ハンマーが活躍した最初の年・・・1983年にオブライエンはハーレー・レーシング・チーム(通称レッキング・クルー)を去り、その後11年間はNASCARのエンジン開発に従事しています。1990年代半ばにその仕事をリタイヤしたのちは、少年時代を過ごしたフロリダで暮らし、そして2003年にこの世を去りました・・・。
ハロウィーンの季節になると、特にハロウィーンについては思い入れのない私ではありますが、ジャック・オー・ランタンとかのハロウィーンの飾りを街のウィンドウの中に見たりすると、ついついハーレー・ダビッドソンのレーシングモデルと、ディック・オブライエンのことを思い出してしまいます(私だけでしょうか?)。