ここ数年、日本でも毎年10月31日にハロウィーンをやったりするのが、なんとなく定着しつつありますね。クリスマスもバレンタインも商業主義込みで盛り上げちゃう日本ですから、ハロウィーンについてもまた然り・・・なんでしょうね。

ケルト文化の祭であるハロウィーン。

ハロウィーンといえば、ジャック・オー・ランタン。でも、これを飾る人は日本ではまだ少ないですね。

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そもそもハロウィーンは、古代ケルト人のお祭りです。10月31日が1年の終わりで、日本のお盆みたいに死者の霊が訪ねてくる・・・おまけに魔女やオバケの類も来ちゃうので、身を守るため仮面を被って魔除けの焚き火をする・・・そういうお祭りなのです。

現在ハロウィーンは、ケルト文化の影響の強いアイルランドや英国連邦、そしてアメリカで盛んです。なおキリスト教とはカンケーない文化ですので、厳格なキリスト教信者の中には、ハロウィーンやりません、という人もいるそうです。

ところで、かぼちゃで作ったジャック・オー・ランタンのオレンジ・・・実はこれ、ハーレー・ダビッドソンのレーシング・カラーの元になっているってご存知でしたか?

黒=悪のイメージの払拭。

そもそも、ハーレーがレーシング・カラーを決めるきっかけになったのは、アメリカのAMA=American Motorcyclist Associationからの要請でした。アメリカのホリスターという田舎町であったバイカーの暴動(ホリスター・ライオット)を元に製作された大人気の映画、『乱暴者』(あばれもの、1953年、原題:The Wild One)の影響で、彼の地では黒革ジャケットのバイク・ファッション=悪というイメージが定着しつつありました。

映画『乱暴者』のワンシーン。マーロン・ブランドの代表作であり、ブランドが演じた主人公ジョニーは、今も世界中の若者のファッション・アイコンになっています。

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全米モーターサイクリスト協会ことAMAとしては、モーターサイクル=悪というイメージを当然払拭したい想いがありました。そこで、若者に人気の高いモータースポーツの世界においては、明るい印象を与えるカラーを用いることを、当時アメリカでモータースポーツ活動をしているメジャーブランドに要請したのです。

第二次大戦後、本格的にアメリカ市場へ進出していた英国のトライアンフは青/白、BSAは赤/白を選びました。1950年代はまだ、レザースーツ=黒が当たり前の時代でしたが、次第に染色技術が発展し、1960年代になると黒以外のレザースーツも普及するようになります。

1971年のデイトナ200。BSAチームの面々は、赤いカラーでイメージを統一していました。

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第二次大戦後、アメリカで大人気だったトライアンフは、青/白をレーシング・カラーに採用していました。

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そして、アメリカの唯一のメジャー・メーカーとなったハーレーは、オレンジ/白/黒をレーシング・カラーに選択しました。その理由は、ハーレーの新しいレース部門の長に就任したディック・オブライエンが、ハーレーに加入したのが1957年の10月・・・ハロウィーンの季節だったから・・・なのです。

ええ! そんな理由で?・・・と、この話を初めて聞いた時、あまりの単純さに驚いてしまったのですが、いろいろ調べてみると、なるほど、そういうことなのかな・・・? と思うようになりました(あくまで個人的なフニオチ=腑に落ち感ですけど)。

1970年代初頭のロードレースで活躍したXR-TT(空冷V型2気筒OHV750cc)。ちなみにオレンジ /白/黒のレーシング・カラーが決まるまでの時代、ハーレー・ファクトリーはいろんな色を使っていました。

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なぜ、この色をオブライエンは選んだのか?

1957年から1983年まで、ハーレーのレース部門の長として活躍したオブライエンは、なぜハロウィーン由来の色を選んだのでしょうか? 確かにお祭りではありますけど、悪魔のルシファーなどが登場するハロウィーンは縁起を担ぐほど、世間的に良いイメージがあるわけでもありません。

ハロウィーンの仮装でおなじみのルシファー。堕天使で、後にサタンとなり、神に逆らう絶対悪の存在として知られています。

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1921年にニューヨークで生まれたオブライエン・・・その苗字から想像するに、彼はアイルランド系のアメリカ人なのでしょう。アイルランドはハロウィーンを祝う習慣が強く残っているので、その辺からオブライエンにはハロウィーンに対する思い入れがあったのかもしれません・・・。

1976年のハーレー・ファクトリー・チームの面々。中央のメガネの人物が、ディック・オブライエンです。

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ブラックレザー=悪という世間のイメージを払拭するため、AMAがメジャー・メーカーに要請したレーシング・カラー制定ですけど、そこであえて「黒」を使うところにオブライエンのユーモアみたいなものも感じます・・・真意は定かではありませんが・・・。

BOTTでも、アイルランドネタ?が使われました。

1970年代のAMAロードレースは、日本製2ストローク勢が猛威を振るうことになりました。XR-TTではもはや対抗不可能という判断から、ハーレー・ファクトリーは1974年以降のロードレース活動を停止することになりました(欧州GPでは、2ストローク2気筒のRR250/350が大活躍しましたが・・・)。

AMAロードレースにおけるハーレー・ファクトリーの復活は、1980年代のデイトナBOTT(バトル・オブ・ザ・ツインズ=4ストローク2気筒車のみのレース)がその舞台になりました。1973年のデイトナ200マイルで炎上した、マーク・ブレルスフォード車を倉庫から引っ張り出し、市販車XR1000のエンジンをチューニングしてこれに搭載。そして足まわりは、当時最新のスペックに刷新されました。

1973年のデイトナ200マイルの光景。XR-TTの横に立つライダーがマーク・ブレルスフォード。その隣は、マート・ローウィルです。オブライエンの赤いパンツがチャーミングですね(笑)。

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1973年デイトナ200マイルのショッキングなシーン! クラッシュしたブレルスフォード車は炎に包まれました・・・。

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デイトナBOTTで活躍したXR1000・・・通称「ルシファーズ・ハンマー」。フロントタイヤは当時のロードレースのトレンドだった16インチを採用しています。市販車XR1000のエンジンは、チューニングにより104hp/7000rpmまで最高出力を引き上げられていました。

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XR750の生みの親・育ての親といえるオブライエンは、このBOTT用レーサーに「ルシファーズ・ハンマー」という名前を授けました。この名はアイルランドの古い民話に由来するもので、異民族に占拠された村を壊滅するために、悪魔が放った彗星のことを示しています。

1970年代末〜1980年代初期・・・黎明期のBOTTは、ドゥカティ、モトグッチ、BMWなど、欧州メーカーのマシンが大活躍していました。そんな異民族のマシンを駆逐する怒りの鉄槌・・・そんな意味も込めてのネーミングだったのかもしれません。

もっとも、ネーミングのアイデア元はオブライエンの再婚相手と言われており、もしかしたら彼女は1978年に発表され人気を博したSFノベル、"Lucifer's Hammer"からインスパイアされたのかもしれませんけどね・・・真意は定かではありませんが・・・(←コレばっかですみません)。

1983年のデイトナBOTTに登場したルシファーズ・ハンマーは、名手ジェイ・スプリングスティーンのライディングで見事勝利をおさめます。

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1983年末から、ジーン・チャーチがルシファーズ・ハンマーのエースライダーとなります。チャーチは1984年、1985年のデイトナBOTT勝利、そして1984〜1986年の間、3年連続BOTTシリーズタイトルを獲得するなど大活躍しました。

ジーン・チャーチの「ルシファーズ・ハンマー」。HOG(ハーレーのオーナー・グループ)がスポンサーだったため、ファクトリーのハロウィーン・カラーは使われておりませんでした。

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ルシファーズ・ハンマーが活躍した最初の年・・・1983年にオブライエンはハーレー・レーシング・チーム(通称レッキング・クルー)を去り、その後11年間はNASCARのエンジン開発に従事しています。1990年代半ばにその仕事をリタイヤしたのちは、少年時代を過ごしたフロリダで暮らし、そして2003年にこの世を去りました・・・。

ハロウィーンの季節になると、特にハロウィーンについては思い入れのない私ではありますが、ジャック・オー・ランタンとかのハロウィーンの飾りを街のウィンドウの中に見たりすると、ついついハーレー・ダビッドソンのレーシングモデルと、ディック・オブライエンのことを思い出してしまいます(私だけでしょうか?)。