1961年5月 通産省(当時。現・経産省)は、貿易の自由化にそなえて特定の産業を指定して、特典を与えて国際競争力を強めようとする法案、特定産業振興法案(通称:特振法)を発表した。この法案が実現すれば、例えば既存メーカー以外は自動車を生産することができなくなる。
ちょうど四輪車製造に向けて、社運を賭けたプロジェクトを指揮していたホンダの本田宗一郎は、激怒した。


おれたちは世界の技術力に挑戦するんだ!

高度成長期の日本。
現在の経産省、当時の通産省は、貿易の自由化が実現されれば、日本の弱い産業は壊滅状態になると恐れていました。

特に、生まれたばかりの自動車産業はまたたくまに海外勢に圧倒されてしまうと思ったのです。だから、既に参入していたトヨタらを集中的に育成することで、少数精鋭的に強化して、海外勢と張り合えるようにしようと考えたのです。
通産省の官僚たちも、必死に日本のことを考えていたのでした。

しかし!!

それは大きなお世話だと考えた起業家がいました。他ならぬ、本田宗一郎です。
彼は怒り狂ってこの法案の撤回を政府や通産省に迫ったのです。

通産省に怒鳴り込んだ本田宗一郎

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勝てるかどうかを勝手に決めるな!

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必死に戦うことは当たり前なんだ!

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戦うのは役人じゃない、おれたち日本の企業なんだ!

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むぅー!!!!!!!ふがー!!!!!!!

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助けてくれてありがとう。でも戦うのはおれたちだ!

本田宗一郎の怒号は世間を動かしました。

この法案は結局廃案になり、ホンダは自動車産業へと進出することができたのです。

官僚や政治家はもちろん、日本の国益を守るために頑張ってくれています。しかし、それはときとして、無用な過保護やえこひいきを生みます。

本田宗一郎の叫びは、起業家の叫びです。

戦うのはおれたちなんだ!

どうですか?一緒に叫びませんか?

戦うのはおれたちなんだ!

歴史を見なさい。大きい者が’永久に大きいと誰が断言できる!新興勢力が伸びるんだよ!

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建設途中の鈴鹿サーキットで開催された第11回全国ホンダ会総会で、初めてベールを脱いだHondaスポーツ・S360(1962年6月5日)

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Honda原点コミックVol.5「来た、見た、勝った」

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本田社長インタビュー「特振法について語る」

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