もはや他のバイクには縁がない、と思うと、他のバイクも気になりだすものだ。ふと、昔のバイク遍歴を思い返すうちに、意外と写真が残っているものが少なく、また記憶の奥で風化しているバイクも多いことに気がついた。そこで古いアルバム(ほぼデジタル以前のものが多い)を引っ張り出して、まとめてみようと思いついた。
1996年 3ヶ月だけの二台持ち。Zephyr750と1100
前回書いたようにように、ZZ-Rの立ちゴケで脚を折りそうになった僕は、修理代を払うかわりに、ZZ-Rを売って、ゼファー1100を手に入れた。
ところが、1100に乗り出してから2ヶ月くらいしたころだと思うが、同じマンションに住んでいた白人(オーストラリア人)が、自分のゼファー750と、交換してくれないか、と言ってきた。自分には750は小さすぎるのだが、1100がKLではなかなか手に入らない。同じカワサキ党として、差額はキャッシュで払うから交換してくれないか、というのだ。
ZII好きの僕は、750ccという排気量にグッときてしまい、二つ返事でOKと言おうと思ったのだが、そこはもったいぶって、しばらく比べさせてくれと言ってみた。するとその白人は夏休みで3ヶ月メルボルンに帰るから、その間預かってくれればいいという。そこで不思議な二台持ち生活が始まったのである。
長く乗れなかった750
約束の3ヶ月がすぎて、ワインレッドのゼファー1100は、白人の彼の元へと旅立っていった。ドナドナ。
僕の元には黒いゼファー750が残った。しかし、告白すると、このゼファー750、十分に楽しんだという記憶がないのだ。なぜかというと、このころ僕は、商社をやめて起業準備をしていたのと、いったん商社をやめることで、住んでいたコンドミニアムを引き払い、いったん帰国しなければならなかったので、ゼファーも売り払わなければならなくなっていたからだ。
いまでもこのゼファーには、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。バイクはやっぱりとことん付き合ってあげなければ可哀想だ。
ともあれ、いったん二台持ちからゼファー750を売り払い、バイクゼロとなった僕は、商社を辞して、異国の地、KLで初めての起業をする。
そして、改めてマレーシアでの4台目のパートナーを迎えることになる。
”彼女”については、また次回語ろう。
(続く)