デジタル化されて”一生モノ”の価値を失っていく時計

F香はCA(空を跳ぶ方のCA)なので、デート中にでもよくスマホを取り出しては時間をみたり、メッセージが入っていないかを確認する。急なフライトチェンジや呼び出しがあるからだ。

男としては、まあまあ気になる所作なので、先日私は「Apple Watchを買ってやろうか?便利らしいよ」と申し出てみた。
F香は腕時計をしていないし、スマートウォッチの最大の長所は控えな通知機能だと私は聞いていたからだ。メールの受信やアラームなどが着けている自分にしか分からない控えめな振動で伝わるので、周囲の人の気をひくことなく、それと知ることができるのだという。

すると、F香は眉をかるくしかめるような表情で私を見た。「私とは恋をしても束の間ってことね」

Apple Watch

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いやいや、そんなことはない、と私は慌てて言った。「よかれと思っただけさ」

「だってあなた、Apple Watchはスマートであってもロングラスティング(終わりがない長い)関係を築けない象徴だって、言ってたじゃない」とF香は言った。

ハイテクであり、スマートであってもロングラスティングな関係を作ることができない、日常品

確かに、私はそんな話を彼女にも他の女性にもした。Apple Watchが発売された直後には、コラムにもそう書いた(苦笑)。

どういうことかというと、Apple Watchのようなスマートウォッチは電池さえ替えればいいわけではなく、機能自体が急速に古びていくからだ。身につけるコンピューターでありスマートフォンと同じ、ハイテクデバイスであるからである。つまりスマートフォンは、時計を、2年か3年で買い換える、消耗品へと変えてしまう。ハイテクであり、スマートであってもロングラスティングな(終わりのない長い)関係を作ることができない、日常品へと変わりゆくのだ。

時計を贈ることで、彼女の左手首(もしくは右手首)を独占する。本来他のアクセサリーとは違い、腕時計は毎日付け替えるということをしないから、その時計は彼女と常にともにいることになる。これは実にセクシーだ。だから私にとって、これはと思う女性には時計を贈ることが相手の心を引き寄せるための常套手段なのだった。

Apple Watchに限らず、スマートウォッチではその目的に、確かにそぐわない。

映画『ナインハーフ』に学んだこと

いまでは見る影もなく、容貌が衰えてしまったが、俳優ミッキー・ロークは若い頃はそれは美しかった。彼の代表作である『ナインハーフ』をご存じだろうか。

SM的な行為にしかエクスタシーを感じなくなってしまった、ハンサムな金融ディーラーを演じるミッキー・ロークは、キム・ベイジンジャー演ずる美しいヒロインを、隠微で背徳的な性愛の世界に誘う。

ミッキー・ロークは愛のしるしに、指輪ではなく、高価な腕時計を彼女に贈る。
そしていう。

「毎日12時なったら時計を見て僕(とのセックス)を想い出して・・」

なんとエロティックで、エゴイスティックな愛の言葉だろう。
この一言で、彼女は12時どころか、24時間彼を思い起こしてからだを火照らせるのだ。

Nine 1/2 Weeks Trailer 1986 Movie Mickey Rourke Kim Basinger

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しかし、二人の蜜月は実は長く続かなかった・・・わずか9週間と半分。つまりナインハーフ(Nine & Half weeks)で終わる特殊な愛。彼女は、彼に贈られた時計を外して、去っていく。ひたすら数をかぞえて、彼女の変心を期待して戻ってくるのを待つ男。

永遠に愛は続かなかった、それは切ないが、終わりがあるからこそ愛は美しく、それでもロングラスティングな関係を求めて、男は時計を女に贈るのだ。

そして、これからは、Apple Watchのおかげで、そんなロマンティックなストーリーはもう生まれないのかもしれない。

で、あなたは私にApple Watchを買うわけ?とF香は訊いた。

ごめん、と私は謝った。
「君に渡すにはふさわしいプレゼントではなかったよ」

そうよね、とF香は微笑んだ。「私、時計はしない主義だったんだけど、あなたが買ってくれるならつけるわ」

ただし、と彼女は続けた。「電池はいやよ。ゼンマイで動く時計にしてね」