Icon Sheene

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こちらのバイク、価格は日本円で約2,000万円。とある偉大な人物のトリビュートバイクで、52台の限定生産です。

モーターサイクルの魅力を世に知らしめた、英国の偉大なレーサー。

その人物とは、1968年にデビューし絶大な人気を誇った英国のレーサー、バリー・シーンです。
2003年に癌により亡くなりましたが、2013年のシルバーストーンGPでは彼の10周期追悼パレードが行われるなど、今でも伝説のレーサーとしてその名を知られています。

2003年3月10日に他界した英国出身のレジェンドライダーの追悼イベントとして、1979年8月の第11戦イギリスGPでケニー・ロバーツとの優勝争いを展開したスズキXR27をはじめ、1975年6月の第6戦オランダGPでジャコモ・アゴスチーニと同着の末に500ccクラスで初優勝を挙げたスズキXR14、1981年に使用したアカイ・ヤマハなど、クラシックバイクのコレクターたちから協力を得て、一同に勢揃い。

シーンの息子フレディー・シーン、義理兄弟のポール・スマート、甥のスコット・スマート、元チームメイトのスティーブ・パリッシュ、友人のランディ・マモラらがパレードに参加。娘のシドニー・シーンも当日に駆けつけることになった。

Barry Sheene bikes - Silverstone 2013

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彼がどんな人物だったのかは、ぜひこちらの記事を御覧ください。

永遠のアイドル、バリー・シーン - LAWRENCE(ロレンス) - モーターサイクルやスポーツカー、ラグジュアリーなハイファッションをクロスオーバーさせ、新しいライフスタイルを提案します。

みなさんは好きなレーサーやライダーっていますか? 私にはいっぱいいます。映像や写真でしか知らない存在・・・スターに思いを寄せるのってある意味滑稽ですけど、手が届かないからこそスター・・・だとも思います。英国最後のグランプリ最高峰王者のバリー・シーンは、そんな存在のひとりです。
出典:
バリーのお父さんのフランクは、2ストロークチューニングの達人でした。父のチューンしたブルタコに乗り、バリーは1960年代末からロードレースのキャリアを本格的にスタートさせました。20歳のときに英国選手権125ccクラス王者になったバリーは、中古のスズキワークス125ccをS.グラハムから購入。1971年の世界グランプリで、目覚ましい活躍を見せました。
世界を魅了したレーシングライダー
トントン拍子でスターダムを駆け上がったバリーは、スズキワークスと契約。1973年には欧州F750王者を戴冠。1975年はシーズン当初の米デイトナ200で大クラッシュし、その選手生命を危ぶまれる大怪我を負いましたが、見事復活して1976年にスズキ初となる世界GP500ccクラスのタイトルを獲得。そしてその翌年も防衛を果たしました。
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結末から言えば、その後のバリーは強敵ケニー・ロバーツたちのライバルに及ばず、王位奪回を果たせぬまま1984年に引退しました。しかし、選手としてのキャリア云々は置いておいて? バリーは紛れもなくスターでした。その甘いマスクと陽気なキャラクターは老若男女からアイドル的に愛され、当時のメディアはバリーのゴシップや発言を報道することに熱中しました。
ピープルズ・チャンピオン
バリーの横には、美しいロードレーサーと美女がよく似合います。当時から4輪F1のジェームス・ハントとともに、その男前ぶりが比較されましたが、2輪贔屓のせいもあるかもしれませんがやっぱりバリーのほうがハンサムだと思います。そんなバリーはペントハウスのモデルとして一斉を風靡したステファニーと熱愛の末1984年に結婚し、一男一女をもうけています(一番最初に掲載した写真の、サインボートを持つ美女がステファニーです)。
出典: http://www.dukevideo.com/images/
ちなみに、ロッシの46、ニッキーの69、マルケスの93、ロレンソの99など、チャンピオンナンバーを付けずに固有のナンバーに執着するライダーは今日珍しくありませんが、その先駆けはバリーの「7」でした。バリーの「7」に対する執着は徹底していて、滞在するホテルの部屋番号やらいろんな「7」にこだわったのは、彼くらいではないでしょうか? 昨今のパーソナルナンバーは多分にビジネス色が強いですけど、バリーはそれよりもジンクスを重んじていたように思えます。
引退後のバリーは、レース解説をつとめたりしていましたが、1980年代末にはオーストラリアに移住しました。そして時々ヒストリックロードレースイベントに参加するなど、ファンの前に変わらない陽気な笑顔を披露していました。個人的な思い出ですが、1998年にオランダのアッセンで開催された「センチニアル・クラシックTT」というイベントで、バリーの半径50cmに近づき、ふた言くらい話をすることができたときは、超コーフンしました(笑)。
コーフンのあまり、何を話したのかはよく覚えていません(苦笑)。確か1966年のホンダの50ccワークスGPレーサー、RC116にまたがったバリーは、エンジンを15,000rpmで暖気しながら「子供のころの憧れのバイクだよ、すごい、感激だよ」と少年のような笑顔で言ってました(おおよそ間違ってはいないはず・・・です?)。
出典: http://api.ning.com/files/OhGxAJDwN8AbaYnVfi7itH9l82NiuiLIZWEdo3*qVctYuI6KNtGs-b8f3uzxZNdFuLunDHs
ヘビースモーカーだったゆえか、バリーは2002年に51歳の若さでガンにより亡くなりました。それからすでに10年以上の時が過ぎていますが、今でも映像や写真のなかのバリーを見ると、私の心はたかまります(ゲイ的な意味ではなく?)。そのカリスマ性からロッシと比較されることもありますが、古き良き時代の美化を抜きに、やっぱりバリーがGP界では一番のアイドルだと思います。そこも魅力のひとつですが、ロッシは腹黒さが透けて見えるので(笑)。
https://www.youtube.com/embed/zIk-2Mi-izs
出典: SheeneLegacy
こちらのDVDはまだ未見なのですが、きっとバリーのファン、そしてそうでない方にも必見の映像だと思います。テレビ東京あたりで、オンエアーしてくれないですかね?(笑)。

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最高のヒーロー、バリー・シーンへの敬意を捧げるバイク

さて、こちらのトリビュートバイクの名前は「Icon Sheene」。Icon Motocycle社により製作されました。同社の代表、アンドリュー・モリス氏にとって、バリー・シーンは最高のヒーローであり、憧れの人物。彼への敬意を捧げ製作された究極のバイクがIcone Sheeneです。価格は16万ドル、日本円で約2,000万円と高額ですが、アンドリュー・モリス氏によれば「近づいてよく見れば、16万ドルの価値がわかる」とのこと。エンジンをはじめ、ほとんどのパーツが自社製であり、F1仕様のIcone Sheene、どうぞ走行動画を御覧ください。

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