『ブルージャスミン』。直訳すれば憂鬱なジャスミン、となる。
監督はウディ・アレン。主演は名女優ケイト・ブランシェット。彼女は本作でオスカーを手に入れることになった。

本作では、実際の栄誉とは真逆に、彼女が演じる主人公ジャスミンは、幸福の絶頂から転落した元セレブだ。NYで大成功を果たしていた実業家の夫は実は詐欺師であり、FBIに逮捕された挙句に自殺する。
息子は家を出て行方不明、ジャスミンはNYにいられなくなり、サンフランシスコの妹の元に身を寄せるが、セレブ時代の暮らしとのあまりの落差に精神のバランスを崩して虚言や独語を繰り返すようになる。

ケイト・ブランシェット演じる主人公ジャスミン。

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非常にストレスのたまる作品

そもそもジャスミンという名前自体が本名ではない。
生まれ持った名前はジャネットなのだが、平凡すぎることに嫌気を差した彼女は自ら改名し、ジャスミンと名乗っているのである。

美しさと富に恵まれた生活を享受できていたのは、夫の犯罪によるものだったし、その夫は実は多くの女性と浮気を繰り返していた。自分をセレブたらしめていたはずの全てが嘘で塗り固められていたものであることに気づいていても、その暮らしを失って、貧乏なアパート暮らしをしている妹にすがることしかできない中で、再び豪奢な暮らしをどうしても取り返そうと必死になっている。

必死なあまりに、常軌を逸した行動をとるようになるジャスミンをかばう妹ジンジャーは、一見庶民的な優しい女性のようだが、向上心がまったくなく、言い寄ってくる男に免疫がなく、ダメ男にすぐ夢中になってしまう。そんな妹の姿もまた、ジャスミンにはストレスの種になっている。

実際ジンジャーが選ぶ男たちは知性のかけらもない、粗暴な男たちばかりだ。ジャスミンでなくとも、もし自分の身内がそんな男たちばかりを選ぶようになったらと思ったら吐き気を止められないだろう。彼女は抗鬱剤や鎮痛剤を常用するようになるが、さもありなんといった感じだ。

ウディ・アレンはやっぱり嫌い。

冒頭で述べたように、本作の主役を務めたケイト・ブランシェットはアカデミー賞主演女優を得た。
彼女の演技は真に迫っていたし、実のところ自分がもし裕福で人も羨む生活をしていて、その生活から転落を余儀なくされたら、彼女のように精神のバランスを崩すか、崩さないまでもやはり彼女と同じように元の生活を取り戻そうと必死になるだろうと思う。だから、主人公ジャスミンに対して同情を禁じ得ない。

作品全体はコンパクトで、回想シーンと現在進行形のストーリーがうまく織り交ざり、脚本も演出も小気味いい。

ただし、ウディ・アレン監督は、とにかく女性に対する愛情がない。
ジャスミンは題名とおり常にブルー(憂鬱)だ。彼女がやっと手に入れかけた新しい恋も、簡単に破綻させてしまうし、本作のオチとして、彼女を転落させることになったのも、実は彼女自身が引き金をひいていたということがわかるのだが、それもまた女性としてはやむを得ない事実が引き起こす悲劇だ。

なのにウディ・アレン監督はすべての責任をジャスミンに負わせて、なんの救いの兆しも見せないままに幕を下ろしてしまうのだ。

ウディ・アレン作品を好きな人は、そういう彼の皮肉屋なところが好きで、さらにそういう皮肉な表現の裏側にある人間愛のようなものを取りざたするが、僕にはそうは思えない。

少なくともお金を払って観る映画は、仮に悲劇であっても一抹の救いがあってほしい。
ことにこの映画を見に来た人は、ジャスミンの悲喜こもごもなドタバタ劇を笑ったり同情しながらも、最後は(経済的にではなく精神的に)彼女が救われることを願っていたのではないか?

観客の期待を裏切るのはいいが、多くの人たちが望むのはわかりやすい救いだと思うのである。

最近こういうバッドエンド型の映画をうっかり見てしまっている。その都度、二度とその監督の映画は見るまい、と心に誓うのだが、それをいちいちメモして映画を選んでいるわけでもないので、何度も憂鬱な週末を味わうことになっているのだ。

映画『ブルージャスミン』本年度アカデミー賞(ケイト・ブランシェット)主演女優賞受賞!

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