ドゥカティのスポーツモデルに採用されている「デスモドロミック」というメカニズムの名前を、みなさんも何度か聞いたことがあると思います。ドゥカティ=デスモドロミック、というイメージが強いので、ドゥカティが発明したメカニズムと勘違いしている人もいるかもしれませんが、じつはその歴史は古かったりします。
ひと言でデスモドロミックのメリットを説明すると、4ストロークエンジンの特徴である吸気・排気バルブ用スプリングを省略できる・・・となりますかね? 往復運動するバルブは上下動する時に慣性の力が働きますが、極度に高回転になるとバルブスプリングの追従性がやがて限界に達します。
バルブスプリングの材質に、みなさん昔は悩んだのです・・・。
大雑把にいうと4ストロークエンジンを高出力にするには、使える回転数を上げることがひとつの手段です(そのほかの高出力化についてはここでは省略)。
しかし、これまた大雑把ではありますが、19世紀末〜20世紀初頭の時代のバルブスプリング材は、今の製品よりもはるかに信頼性が低かったのです。それゆえに過度に高回転な設定を狙うと、先述の「追従性」の問題(サージング、破断など)で致命的な故障をすることもあったのです。
要するに、バルブスプリングを使わなければ、バルブサージングや破断の問題はありません・・・当たり前のことですけど(笑)。ではバルブスプリングの役割・・・タマゴ形状のような断面のカムに押し下げられた吸気・排気バルブを戻す役割を何に託すか? が問題になるわけですが、これもカムなどでやってしまおうというのが、デスモドロミックの基本的な考え方です。
すでに19世紀末に、デスモのアイデアは存在していた。
日本語版ウィキペディアのデスモドロミックの項には、デスモドロミックの発明は1912年のプジョー(フランス)・・・なんて書いてますが、19世紀末にはダイムラーベンツなどが特許を出願しておりました。
フランスのプジョーやドラージュ、イギリスのJAPなど、20世紀に入ってからいろいろなデスモドロミックが作られましたが、際立った成功を一番最初に残したのは、1954~1955年のF1グランプリで活躍したメルセデス・ベンツのGPカー、W196でした。
いよいよ、ドゥカティの出番です!
W196がF1で活躍していたそのころ・・・1954年にドゥカティに加入したのがファビオ・タリオーニ技師でした。彼は2輪の世界にデスモドロミックをもたらすことになるのですが、その意義は4輪よりも大きかったと言えるでしょう。4輪に比べれば一般に排気量が小さい2輪車は、高出力化のために高回転化を図る必要性が高いので、当時のバルブスプリングの弱点を排除できるデスモドロミック機構は理想的なメカニズムだったのです。
1968年型モデルからは、ドゥカティの単気筒量産車にもデスモドロミック機構は採用されるようになり、Vツインの750SSから2気筒車にもデスモドロミックが導入されています。
ちなみに、そのほかの2輪メーカーでもデスモドロミックにトライした例はあります。有名なのは英国のノートンでしょう。ファクトリーロードレースチームが解散した1955年以降も、小規模な実験部門はノートン・マンクス単気筒レーサーの研究を進め、1957年にデスモ・バージョンを開発していました。
デスモの明日はどっちだ?
タリオーニがデスモドロミックを2輪の世界にもたらした当時は、まだまだバルブスプリング材の質が低かった時代でした。それゆえにデスモドロミックの優位性は光りました。高回転まで回してもバルブサージングやバルブスプリング破断がなく追従性に優れる点。特に、過大なエンジンブレーキをかけて回転数が上がったときに、バルブまわりにトラブルが生じにくいことは大きなメリットでした。
しかし、時は過ぎて・・・バルブスプリング材の品質は1950年代以前よりもはるかに向上した現在、デスモドロミックの優位性は昔よりもはるかに減っています。さらに1980年代にルノーがF1用に開発したニューマティックバルブ・・・圧縮空気をスプリング代わりとして活用する技術がモトGPにも転用されている今、デスモドロミックはある意味、トップエンドの技術を競うモータースポーツの世界では、「古臭い技術」となりつつあるのが現状でしょう。
しかし、加圧管理など頻繁なメンテナンスが必須な「ニューマティックバルブ」が必ずしも公道用モーターサイクルに必要かというと、その答えは「No」でしょう。1950年代から大事に育て上げたデスモドロミックの技術が、ドゥカティブランドの「カンバン」のひとつになっている以上、あえてそれを捨てるのは愚策に他ならないのではないでしょうか? デスモドロミックを墨守することが、ドゥカティのアイデンティティーやブランドイメージを保つ良策と思うのですが、みなさんはいかが思いますか?