世界トップクラスのソフトパワーを発揮していた江戸
明治維新後に続いてきた欧米列強へのキャッチアップ戦略はかなり昔に終わりを告げ,成熟社会としてソフトパワーを国富として捉えるべき現在。未だに欧米の価値基準に染まりすぎ,迷える子羊になっている部分も大きい。そんな時に思い出すべきは明治以前の江戸だ。当時パリが80万都市だった時にすでに世界最大の100万都市となっていた江戸は文化的に当時世界トップクラスのソフトパワーを発揮していた。フランスなどの上流階級にジャポニズムのブームを巻き起こし,ゴッホなどの芸術家に大きな影響を与えたことは既知の通りだ。そんな江戸の街のソフトパワーの源のひとつはエロスのパワーだ。例えば浮世絵はアートとして今日とても高い評価を得ているが,かなりの数の春画がそのベースとなっていることも事実である。つまり浮世絵は今で言うエロ本としての春画が庶民レベルにおいては活用されていたからこそ花開いたアートと言えるだろう。
一生独身も多数いた男性が溢れていた江戸
時江戸の街は男女の数の格差があった。男性が圧倒的に多い状況の中で,最初から結婚をするという考えを持っている男子の方が少なかったとも言えるだろう。キリスト教の価値観も広まっていない当時結婚はあくまで家のためであり,守るべき家系や労働力を必要とする家業が無い限りは結婚をする必然性も高くは無かった。それでもリア充を攻撃するような過激分子に荒らされず都市として安定していたのは,多様な性風俗の存在を抜きには語れない。吉原は上流階級含めた江戸風俗の頂点の場所として君臨していたが,江戸の街にはさらに多層的なレベルで風俗が多数存在した。多くの殿方が性的欲求を満たすことに困ることは無い状態であったのだ。
川の上の船はカップルの楽園
そうした中で欲望が溢れそうなカップルの男女達はどんな場所でSEXをしていたのか。お金があるカップルは現在のラブホテルのような存在のお茶屋の二階などを利用できるが,そこまでお金が無いカップルも多数存在していた。草むらなどでしていた男女も多数いたようだが,中でも非常にユニークな場所がある。それが川の渡しの船だ。昼間はまともな運送業である川の渡しは夜になるとカップルに船を貸し出すビジネスをしていたようだ。つまり岸から少し離れた船の上が二人のパラダイスということである。江戸時代の川は夜になるとあちらこちらで揺れるたくさんの船のさざ波と,あちらこちらから漏れてくる官能的な声に埋まっていたのである。なんとも不思議な光景だが大和撫子たちが月明かりに照らされる白い肌を船の上で愛でられていたことを想像するとやはり江戸の街の人達は粋だと言えるだろう。