だいぶ間があいてしまいましたが、シリーズ・マン島TT今昔物語の最終回をお送りします。

1世紀以上の歴史を持つマン島TTですが、1950年のTTは数あるマン島TTのトピックのなかでも、ひときわ大きなセンセーションを生み出した大会だと思います。第2次大戦前の1930年代、無敵艦隊という異名を授かるほどマン島TTで強さを発揮したノートン単気筒が、再びその速さを世界に誇示したのが1950年のTTでした。

1950年セニアTT(500cc)、マンクスノートンを走らせるG.デューク。

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第2次世界大戦が勃発する前の時代・・・1930年代末のロードレースGPは、1939年TTで優勝したBMWコンプレッサーのように、過給機(スーパーチャージャー)付きのマルチシリンダーが強さを発揮しました。戦後、過給機が禁止されたことにより、単気筒とマルチシリンダーの出力差は若干縮まりましたが、やはり高回転・高出力化に有利なマルチシリンダー車の出力的優位は明らかなものでした。

伝統の単気筒エンジンに固執したノートンは、車体を一新することで高出力なマルチシリンダー車に対抗することを志向しました。この時、白羽の矢が立ったのが「フェザーベッド」フレームという車体です。

フェザーベッドフレームはノートンオリジナルの設計ではなく、北アイルランドのレックスとクローミー、マカンザラス兄弟が考案したフレームです。この時代のモーターサイクル用フレームの多くは鉄パイプの接合に、重たい鋳鉄のラグを用いていました。フェザーベッドはこのラグを用いず、ステアリングヘッド部を起点・終点とする、2本のパイプによるダブルクレードル構造を最大の特徴としていました。

後期型フェザーベッド(ワイドライン)。初期はシートレール側がボルトオン構造でした。

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レイノルズ531マンガン-モリブデン鋼を使ったフェザーベッドフレームは、既存のフレームよりも軽く、そして高剛性でした。また旧来のプランジャーサスペンションを廃し、新たにスイングアーム機構を採用したことにより、後輪の路面追従性と乗り心地ははるかに向上。フェザーベッドという呼び名は、ノートンファクトリーライダーのハロルド・ダニエルの試乗後のインプレッション・・・「まるで羽根布団の上にいるみたいに快適だ」に由来するものです。

フェザーベッドフレームを採用した、1950年型マンクスノートン(ファクトリー車)。

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1950年TT、ファクトリーノートンを整備するクルー。

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迎えた1950年TT、ノートンファクトリーチームは、これ以上望みようがないほどの完勝劇を披露しました。ジュニア(350cc)クラスでは、A.ベル、G.デューク、H.ダニエルの順に表彰台を独占。最高峰のセニア(500cc)クラスではG.デューク、A.ベル、J.ロケットの順で再び表彰台を独占。高出力なマルチシリンダーのライバルをものともせず、ふたつのクラスで表彰台を独占したのです。

セニア(500cc)クラスの上位3人。左からJ.ロケット、G.デューク、A.ベル。デュークの向かって右後ろの背広の人物が、ノートンチーム監督のJ.クレイグ。

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この翌年の1951年度、G.デュークはノートンのエースとして、350/500ccの両クラスのライダータイトルを獲得します。またこの年より、ノートンはフェザーベッドフレームのマンクスの市販を開始し、以降市販マンクスはプライベーターたちの最良の選択肢のひとつとして、1970年代初頭まで多くのライダーに愛用されました。

ノートンがフェザーベッドフレームで示した、「優秀な車体・ハンドリングは、出力のハンディキャップを覆す」という事実は、その後広くモーターサイクルの世界で伝播することになります。フェザーベッド・ノートンで活躍したデュークは、1953年にイタリアのジレラに移籍し、フェザーベッドのノウハウを得たジレラ4気筒を駆り1955年まで世界GP500ccクラス3連覇を達成します。1950年代も単気筒に固執したノートンは、やがてフェザーベッドを模した車体を得たライバルたち相手にジリ貧となります。そしてレース活動に熱心になるあまり経営的危機に陥り、同国のライバルであるAMCグループ(マチレス・AJS)に吸収される運命をたどります。

フェザーベッドの影響が色濃い、カワサキZ1のフレーム。

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また、量産モーターサイクルの分野でも、世界各国のメーカーはノートンフェザーベッドの影響を強く受けたフレームをコピー的に作りました。カワサキZ1/2、ヤマハRD56以降のロードレーサー(TD2など)、BMW /5シリーズ・・・いわばフェザーベッドは、第二次大戦後、1950〜1970年代のフレーム作りのひとつのベンチマークになったとも言えるでしょう。

2013年のマン島クラシックTTをマンクスノートン(レプリカ)で走るB.アンスティ。彼は現在のマン島TTの絶対コースレコードの保持者です。

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1970年代初頭に、一度市販レーサーとしての役目を終えたマンクスノートンですが、1970年代末に始まったヒストリックロードレースで再びその実力が脚光をあびることになりました。1980年代末には完全新車で再現したレプリカのマンクスノートンが販売されるようになり、今でもマンクスノートン(レプリカ)は、新車での購入が可能です。

公道でマンクスノートンの走りを楽しむために作られたモデル、トンキン・トルネード。ベースとなるのは、マンクスレプリカの第一人者、アンディ・モルナーの製品です。

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市販のマンクスノートンは、M.ヘイルウッド、P.リード、J.レッドマンなどなど、数多くのGP王者、そしてチューナーを育てたモデルでした。この名市販レーサーのルーツが、その潜在能力を遺憾なく発揮した1950年TTは、やはり歴史的に特筆すべき大会と言えるのではないでしょうか。こちらのムービーは、当時のマンクスノートンのテスト風景をおさめたものです。ライディングをするのは、名手B.マッキンタイヤです。その走りの雰囲気を、ぜひムービーでご堪能ください。