通りがかりの来訪を拒むかのような壁に隠された意志

白い壁に覆われた展示ブース。開放的な他のブースとは対照的である。Motorcycle Artというタグラインもまた、孤高の印象を強めている。

最近メルセデスAMGとの資本提携を発表しているMV Agusta。しかし今回のブースでは、そのイメージを知らしめるような展示はなかった。

それよりも僕が大きな違和感を感じたのは、展示品を覆い隠すような白い壁。来訪者にすぐ見えるような形でバイクを展示している他のブースとは、まるで印象が異なる。

実際には、来訪者がそれぞれのバイクに跨り、写真を撮るときに余計な背景が映らないようにという配慮であるのだろうが、違和感を感じたのは事実だ。
ただ、それはもちろん悪い意味ではない。

今のMVアグスタに、幻のレースの名門のイメージを重ねる者にとっては、その孤高の王者の印象を裏付けるような配置であり、ブースに入るときの僕のテンションは実はとても高まっていたのだ。

創業は第二次世界大戦以前だが、戦後に国際レース活動で高い成績を残したものの、親会社の意向で約30年の活動後、解散する。
その約20年後の1999年、カジバの資本参加で再活動している。とはいえブランド名が復活しただけで、1970年代以前とは全く別の会社である。その後2004年にマレーシアの自動車メーカー、プロトンの傘下に入るが依然として業績低迷が続き、2005年12月27日にプロトンは全保有株をイタリアの投資会社GEVIにわずか1ユーロで売却することを発表した。その後も業績不振が続き2008年7月11日ハーレーダビッドソンに売却されることで合意したが、2009年10月にハーレーダビッドソンも売却の意向を表明し、2010年に再び元々の経営者グループへカジバと共に復帰した。

MVアグスタは、僕にとっては大藪春彦のバイク小説の傑作「汚れた英雄」の主人公北野晶夫が、そのレース人生の大半を過ごすパートナーとして、強烈な印象がある。それは憧憬に近いものといっていい。
しかし、実際には前出のごとく、僕が知るレースの名門アグスタと現在のアグスタは別物だ。

だから”新興”MVアグスタとしては、1970年代までの名門アグスタと、今のアグスタのブランドイメージのギャップを埋め、自らを、当時のブランドの正統な後継者であり、そこに違いはないというブランディングを必死にやっていると思う。最近のレースへの懸命な取り組みもそうだし、マーニ・フィロ・ロッソの復刻などはその現れだろう。
また、英国車のジャガーがインド企業の傘下になって、かつての名車Eタイプの復刻をプロジェクトにした戦略とも通じるだと考える。

彼らが昨年AMGとの資本提携を行い、車体にAMGのロゴを入れているのは、現在のブランド力に不満を感じている株主たちへのアピールであり、価格と釣り合う性能があることを、担保するための補完的施策であると思う。

色眼鏡を外してみれば、現代のMVアグスタのモーターサイクルは、恐ろしいほど魅力的だ。
挑むようなフォルム、大きさを感じさせない華奢なボディはそのパワーを隠しているが、滲み出るエロスは隠しきれていない。これだけのパフォーマンスと攻撃的なスタイルは、同じイタリアで言えばランボルギーニにも似たものがある。
ただレースのイメージを積み重ねることをしてこなかったランボルギーニに対して、そもそもレースの名門から生まれているブランドだけに、その遺産を捨て去ることはできるものではない。

レースのイメージを作ると同時に、過去の栄光と今のメーカーとしてのポジションをうまくリンクさせる試みの中で、MVアグスタは二輪業界のハイブランドとして懸命な努力をしている。セールスにはまだ反映されていないのだろうが、それでもMVアグスタは大衆向けのブランドではなく、危険な香りを漂わせる高貴な馬でなくてはならず、自らを理解しない相手に媚びるようなことはしない。そのメッセージはわかる者だけに届けばよい。そう胸を張る気高いアーティストのように、孤高なプライドを僕はMVアグスタに感じるのだ。

『F4RC』

www.mv-agusta.jp

●発売時期
2015年7月頃
●希望小売価格
469万8000円(税込)
世界で250台のみの限定生産、日本国内は5台のみ入荷予定のレアモデル
F4RCはワールドスーパーバイクのホモロゲーションモデル版。
乾燥重量はわずか175kg。