世界中のドゥカティファンにとって、悲しいニュースが各国のサイトで報じられています。報道によると、ドゥカティ・コルセのレジェンドのひとり、フランコ・ファルネが81歳でお亡くなりになったそうです。ポール・スマートのイモラ200マイル勝利、マイク・ヘイルウッドのTTカムバック優勝、トニー・ラッターのTT-F2の活躍、そしてレイモン・ロッシュ、ダグ・ポーレン、カール・フォガティ、トロイ・コーサーら1990年代までのWSB=世界スーパーバイク選手権における幾多の栄光・・・。これらの業績は、ファルネの力なしには成し遂げられなかったでしょう。


ドゥカティ・レッドの血が流れる男

出典:http://www.ducati.it/


両親もドゥカティで働いていたファルネは、幼少時ドゥカティ工場内で遊びまわっていたそうです。そんな彼がドゥカティに1951年に入社したのは、いたって自然な流れだったのかもしれません。その3年後に天才エンジニアのファビオ・タリオーニがドゥカティに加入すると、彼はタリオーネの右腕として頼られる存在になります。


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技術者として、テストライダーとして、そしてファクトリーライダーとして、ファルネはその才能を発揮させました。ドゥカティ100に乗り1956、1957年のイタリア・ジュニア選手権、そして1958年には125デスモでも優勝しています。1960年代はアメリカ市場開拓業務に従事し、350ccモデルの開発を担当。その後ファルネは、すべてのドゥカティ製試作車とレーシングモデルの開発を任されることになります。


ドゥカティ・コルセの「柱」


1970年代のドゥカティ・ファクトリーレース活動は散発的で、継続的なものではありませんでした。彼はNCRチームにて非公式ファクトリーロードレース活動を行い、ドゥカティの世界のサーキットにおける「プレゼンス」を守り続けました。その後1980年代、カジバのカステリオーニがワークスロードレース活動を本格再開。ファルネもファクトリーチーム=ドゥカティ・コルセに戻り、WSBにおけるドゥカティの黄金時代を築き上げました。


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もし1970年代のファルネの献身的な努力によって、ドゥカティのロードレース活動という松明の火を消さずに保ち続けなければ、今日のドゥカティの栄光はなかったと言っても過言ではないでしょう。彼はドゥカティロードレース史の「精神的支柱」と呼べる存在に他なりません。1999年にドゥカティを去ったファルネは、2000年のビモータのWSB参戦に協力。このプロジェクトが経済的に破綻した後は、古巣ともいえるNCRに復帰しました。


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2011年のクラウディオ・カステリオーニ、2014年のマッシモ・タンブリーニとフェデリコ・マルティニ・・・近年はイタリアンモーターサイクル界のレジェンドの訃報に接することが多いですね・・・。近年ドゥカティ・コルセはモトGPでもWSBでも迷走気味ですが、ファルネが安心して眠りにつけるように今年は頑張っていただきたいものです。