京都にいるときゃケビンと呼ばれたNO! 神戸じゃフレディーと名乗ったNO! ♫ ・・・と、この軽妙なラップ? による「昔の名前で出ています」は本編と関係あるといえばあるし、ないといえばありません? ふとした思いつきから、モーターサイクルの名前と、同じ名前のほかの乗り物をご紹介します。乗り物だけに、ノリノリで行こうぜぇ! ・・・自分で書いていて、サムすぎて悪寒が・・・そういえば流行りの「サム・スミス」と「寒すぎる」って、語感が似てますよね?


同名異種格闘技編?


悪ノリはこれくらいにして、話を進めましょう。まずはクルマとモーターサイクル編です。


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こちらはトライアンフのサンダーバードと、Tバードという呼び名で知られるフォードのサンダーバードです。5年ほどばかり、モーターサイクルのサンダーバードのほうがデビューが早かったです。ちなみにサンダーバードとはネイティブアメリカンに伝わる伝説の神鳥なんですが、モーターサイクルのほうのネーミングの由来は、アメリカ出張に来ていたトライアンフの重役、エドワード・ターナーが滞在していたモーテルの名前から・・・といわれています。


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続いては、またまたフォードのマスタング。アメリカを代表するスポーツカーのひとつとして、1964年のデビューから長い人気を誇るモデルです。一方のマスタングは、クルマのほうに比べるとかなり可愛らしいというか・・・ショボイ(失礼)。こちらは第二次世界大戦中から試作された小型車で、1960年代半ばまで販売されていたアメリカ車です。


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お次はみんな知っている街の人気者。ホンダが世界に誇るベストセラー、スーパーカブです。一方この黄色い飛行機はパイパーPA18スーパーカブ。1949年からそのシリーズ含め、1990年代まで15,000機ほどが作られました。2輪のスーパーカブ同様、ロングセラーだったわけですね。


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1990年代のネイキッドブームの立役者、カワサキゼファーはのちに750、1100とシリーズ化した大人気スポーツモデルです。一方、こちらの列車は2輪よりはるか前の第二次世界大戦前からアメリカで活躍していたゼファーです。最高速180km/hオーバーの高速ディーゼル車で、その外観から「シルバー・ストリーク」の異名を持っていました。



モーターサイクル同名対決?


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最後はモーターサイクル同士です。最近発表されたヤマハR1こと、YZF-R1は大人気ですね。今ではすっかりR1と言うと、YZF-R1を指すことが定着した観があります。しかし1960年代までは、ヤマハのR1といえば2ストローク350ccパラレルツインの350 R1を指していたのです。

このR1は、当時世間を震撼させた「3億円犯人」が、ニセ白バイに用いたモデルとしても知られています。ちなみにヤマハは1970年前後のころまで、Y=ヤマハ、ABCD=排気量区分などのアルファベットを組み合わせたネーミングを常用してました。ヤマハ初号機の1955年YA-1は「ヤマハのA=125ccの1号機」、1959年のYDS1は「ヤマハのD=250ccのS=スポーツの1号機」、1968年のDT-1は「250ccのT=トレールの1号機」という具合です。

DT-1のときにY=ヤマハを使わなかったように、1960年代後半からはヤマハを示す「Y」を使わないようになりますが、このR-1もそういうことになりますね。なおR-1系にはTRシリーズという、血統を共にする市販ロードレーサーがありましたが、当初アメリカのデイトナなどで使ったモデルはTR1とは名乗りませんでした。

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当時はまだメリデン工場産のトライアンフが、アメリカで好セールスを保っていた時代でした。トライアンフの代表車種のひとつ、トロフィーの型式名「TR」と混同されるのを避けたため、ヤマハはTRを名乗らなかったと言われております。ヤマハがTRの名前を大々的に使うのは1969年のTR2以降でした。



・・・で、ヤマハTRと同じ時期に、スズキも2ストローク500ccのロードレーサーを開発しておりました。しかもその名はTR500タイタン。

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1970年代初頭にトライアンフは没落することになり、ヤマハとしては気兼ねなく? TRを名乗れるようになったのですが、今度は(天竜)川向こうのスズキとモロかぶりです(笑)。しかしそこは日本人同士だから問題なく(←適当な解説)、ヤマハ・スズキともに仲良く(←適当な解説)、世界のサーキットでそれぞれのTRを活躍させましたとさ。メデタシメデタシ(←適当なまとめ)。


同じ名前シリーズ、ご好評でしたらまた考えておきます。次回もぜひ、チェケラッチョ!(死語)。