この映画を見終えて、最初に思い起こしたのは13年前に訪問した北アイルランドのことでした。公道を利用したロードレースといえば、多くの人がマン島TTやマンクスGPを思い起こすでしょう。日本ではあまり知られていないかもしれませんが、北アイルランドも公道でのロードレースが盛んな土地で、アルスターGPやノースウェスト200などの歴史あるイベントが開催されています。
"リアル・ロードレーシング"という言葉に込められた「誇り」
また北アイルランドは、スタンレー・ウッズ、アーティー・ベル、サミー・ミラー、トミー・ロブ、ラルフ・ブライアンズ、トム・ヘロン、フィリップ・マッカーレンなどの優秀なレーシングライダーを輩出した地であり、彼らはいずれも公道でのロードレースでも実績のあるライダーたちでした。北アイルランドではよく、公道でのロードレースをサーキット使用のロードレースと区別して、「リアル・ロードレーシング」と称したりします。そこには彼ら北アイルランド人の「国技」のような公道ロードレースに対する、誇りのようなものが感じられました。
北アイルランドのバリーマニーという町で育った、ダンロップ一家の「リアル・ロードレーシング」における業績は、レースに興味のない人でも、モーターサイクル乗りならなんとなく聞いたことがあるくらいに有名です。この映画「ROAD」では、上記のような公道ロードレース、そしてマン島TTの歴史・背景については特に触れていません。あくまで「ダンロップ一家の物語」に集中して、このドキュメンタリーは進行していきます。
この作品を見たのち、おそらく多くの人・・・たとえモーターサイクルという趣味に理解がある人でも、ダンロップ家の「リアル・ロードレーサー」であるジョイとロバート、そして若い世代のウィリアムとマイケルの4人のチャレンジに、理解できないという感情を抱くのではないでしょうか? ひとつのミスが死に直結する公道でのロードレース・・・特に、満足するに価する幾多の栄光を手にしながらも、年老いても引退することを拒み続けたジョイとロバートのふたりの生き様は、かなり一般人の感覚からかけ離れていると思えるでしょう。
しかしエンドロールまでこの作品を見続けたとき、公道のロードレースで「走り続けること」が彼らにとっての「生きること」と同義であることは、理解できずとも誰もが気付くでしょう。忌むべきものとされる「死」はあくまで結果であり、善悪の価値観で判断されるものではありません。また、ダンロップ家の4人の「生きる」ことへの取り組み=走り続けることに対して、所詮我々は見守ることしかできない・・・ことにも気付かされます。それはちっぽけな私たちでさえ、誰からも各々の生き方を否定される筋合いがないこと・・・と、なんら変わりはないのです。
この作品は、人が「生きる」ということはどういうことか・・・を考えるための映画と言えるかもしれません。
『ロード』
4月11日(土)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋にて公開
ⓒ2014 DoubleBand Films All Rights Reserved
配給:レイドバック・コーポレーション
さて、拙い私の映画評だけなのも芸がありませんので(笑)、13年前に北アイルランドのジョイ・ダンロップのお墓参りしたときのお話と写真を紹介しましょう。
リアル・ロードレーシングの首都、北アイルランド
北アイルランドを訪ねた際、ベルファストの友人の住まいに一週間くらいお世話になったのですが、そこはいわゆるIRA(アイルランド共和軍)の根城みたいな町で、日本人は初めて見た!と大歓迎されました。ゲール語の新聞があったり、英本土とここでは、まったく違う文化があることに驚いたものです。なお、現地の新聞に「日本人来る」みたいに掲載されました(笑)。
長い歴史の中で、英国によるアイルランド、そして北アイルランドに対する弾圧は苛烈を極めました。そのためカトリックのアイルランド人のなかには、英国を憎む人が少なくはありません。言うまでもなく北アイルランドは今も英国領で、プロテスタントの英国派住民もいます。彼らプロテスタントたちは居住区中の道路にユニオンジャックを落書きしたり、木や電柱に紐を渡してユニオンジャックを掲げるなど、「英国としての北アイルランド」を強く主張していました。
フットボールスタジアム、新聞社、学校・・・などなど、街のいたるところにはIRAと英国軍の戦いの傷跡が残ってました。訪問した家々では、英国軍に殺された家族の悲しいアルバムを何冊も見せられました。旅のハイライトとして友人がアレンジして、初のIRA系市長であるアレックス・マスキー氏との面会まで用意してくれたので、すごーく緊張したものです。何度も暗殺を計画・実行されたため、大怪我をして内臓の一部を失ったマスキー氏ですが、ニコニコしながらそのときの手術痕をシャツをめくって見せてくれたのが印象に残っています。
・・・と、クドクド本題にたどり着かずに書きましたが、それくらい北アイルランドって、英国本国とはムードが違う場所なことをお伝えしたかったのです。なにとぞご容赦ください(笑)。
北アイルランド紛争と称される、IRAの抗争全盛期だった1970~1980年代、バリーマニーの町に住むダンロップ兄弟はどんな想いでロードレースに熱中したのでしょうか? それはともあれ、北アイルランドの人々がダンロップ兄弟の活躍を、どれほど誇りに感じたのかは想像できます。またモータースポーツという実力勝負の世界では、英本国と北アイルランドの確執は(表面上)無縁です。英国、北アイルランド問わず、多くのモータースポーツファンが、ジョイとロバートのダンロップ兄弟の活躍に惜しみない賛辞を送った事実は、スポーツやモーターサイクルという趣味が、いかに平和と異文化の相互理解に結びつくか・・・を感じさせます。
アルスターGPやノースウェスト200の舞台となったコースを案内されたのち、友人に連れられてジョイの未亡人が営むパブ『Joey’s Bar』に行きました。平日の夕方、すでに店内は常連客で満杯。彼が長いブランクの後に久々のマン島TT勝利をあげたときのホンダVTR1000が天井から吊られ、カウンターの向こうの棚には酒瓶とともに数々のトロフィーが飾られておりました。これらのディスプレイに、ジョイの業績を改めて認識させられました。
その後、ジョイを記念した「メモリアルガーデン」、そして教会のお墓にお参りしました。日本のお墓の感覚から、偉業を成し遂げた人だからデッカイ墓標なのかな・・・と思いましたが、ジョイのお墓は他のお墓と同じくらいの、標準的サイズでした。『ROAD』で葬儀のシーンを見て、今はロバートも一緒に眠っているんだな・・・と思ったものです。
『ROAD』を観て、ダンロップ一家に興味を持った方は、ぜひ北アイルランドの歴史、そして北アイルランドのライダーたちのことも、あわせて調べてみることをオススメします。物語のテーマは人間共通の普遍的なものですが、より深く『ROAD』を楽しむためにも・・・。