1930年代は「無敵艦隊」と呼ばれるほどマン島TTなどのロードレースで活躍し、第二次世界大戦後の1950年代初頭は非力な単気筒ながら卓越したハンドリングで4気筒のライバルを世界GPの舞台で退けたブランド・・・それが英国のノートンです。1950年代半ばに公式なファクトリーロードレース活動は停止しましたが、市販レーサーのマンクス単気筒はプライベーターの相棒として活躍を続け、M.ヘイルウッド、J.レッドマン、P.リードなど数多くのGP王者を育てる役目を果たしています。

名門ノートンの復活


日本人がホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのロードレースGPでの栄光に誇りを感じるのと同様、英国人はノートンがロードレースで積み重ねてきた栄光を誇りに思っております。しかし、1970年代に英国2輪産業が没落するにつれ、その栄光はやがて色あせたものとなっていきました。そんな時代に生まれたのが、ロータリー(ヴァンケル)エンジンを搭載すつノートンのプロトタイプでした。


出典:http://www.totalmotorcycle.com/photos/prototype-spy-concept/Norton-1975-Triumph-


ノートン、ビリアース、トライアンフが合併して生まれた会社、NVTは1978年に販売不振から消滅することになりますが、プロトタイプの発展型であるノートンロータリーエンジンの開発は地道に継続されました。ちなみにノートン以外にも、ロータリーエンジンを搭載するモーターサイクルは1950年から世界中のメーカーで研究・開発が続けられており、思いの外その歴史は古いものです。


日本ではスズキがRE5を1973年に発表し、実用化したことが知られていますが、研究開発していたメーカーがそれなりに多い割には、実用化までこぎつけた例は4輪車同様に少なかったのです(日本のメーカーでは、ヤマハとカワサキのプロトタイプが公表されていますが、いずれも市販には至りませんでした)。1970年代のオイルショックと環境規制強化が、ロータリーエンジンの将来に不利にはたらいたことが、各メーカーが市販化に躊躇した最大の理由と歴史の本には記されています。


出典:https://fbcdn-sphotos-h-a.akamaihd.net/hphotos-ak-xpf1/v/t1.0-9/10978628_10152906560593855_3966952581160652685_n.jpg?oh=433a52cd5095a754b8b645ee88dba9ab&oe=55530BF2&__gda__=1435403149_06493736ad8c7c8a5d651bd8d63484c1&dl=1、


ノートンロータリーが再び脚光を集めたのは、1980年代の後半でした。ポリスバイクとして開発されたモデルをベースにする空冷ロータリーを搭載するロードレーサーが1988年にデビュー。その後水冷化され、日本製の4ストローク750ccスーパーバイクを相手に戦うノートン・ロータリーに、多くの英国人が熱い声援を送ったのは言うまでもありません。


ノートンロータリーのロードレース活動のハイライトは、1992年のマン島TTでした。白いカラーリングのノートンロータリーを託されたスティーブ・ヒスロップは、ヤマハに乗るカール・フォガティと接戦を繰り広げた末、ノートンに1973年以来のTTでの勝利をプレゼントします。

Steve Hislop | TT Win #9 | 1992 Isle of Man TT | Senior Race

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当時、リアルタイムでノートンロータリーの活躍を伝える英国メディアの報道を見ていましたが、いかに当時の英国人が栄光のノートンの復活に熱狂していたかは、極東の私にもひしひしと伝わりました。1970年代以降は商業コマーシャルの色が強くなったのがトップクラスのモータースポーツ界ですが、やはり根底にはビジネスを越えた、国と個人の誇りと名誉をかけた戦い、という本質が残っていると思ったものです。


名誉と誇りをかけた戦い……モータースポーツの本質


その後、1994年にはノートンロータリーはイアン・シンプソンのライディングで英国スーパーバイク選手権を獲得しますが、1970年代末のNVT崩壊から幾度もオーナーシップが移り変わったノートンはビジネス上の安定を得ることができず、その後のレース活動を続けることができませんでした。


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しかし、ノートンロータリーの開発は21世紀以降も続けられることになりました。35年以上もロータリーエンジンという、ほかのメーカーが見放した技術に執着するという、その執念深さには脱帽の一言です。なお現在のノートンは、ファクトリーロードレース活動のメインにロータリーを据えることはしていません。しかし、またいつの日にかノートンロータリーが表舞台に復帰する日が来るかもしれません。たとえ商業的利益に結びつかないとしても、誇りのためにレース活動と技術開発を行うのが英国人という人種ですから・・・。