国産オートバイの黎明期を駆け抜けた若き天才ライダーの短い一生

『汚れた英雄』(大藪春彦原作・角川文庫)を知らないバイク乗りも、だいぶ増えてきた。

自転車にくくりつけられた荷台に50ccのレーサーを乗せて、浅間レースに出場するところから始まる、若き主人公 北野晶夫の挑戦。 当時はあまりに絵空事のように思われたと思うが、その後実際に日本人のGPチャンピオンや、F1レーサーまで生まれて、真剣に望みさえすれば、そして才能にさえ恵まれていれば、リアル北野晶夫になれるチャンスが、現代の日本にはある。

大藪作品では異質なヒーロー

大藪春彦作品は、ほとんどすべて読んでいる僕だが、この『汚れた英雄』は彼の作品としてはかなり異質だ。世界観や人生の無常に対する虚無感や屈折した気分はすべての作品に共通するが、ほとんどが犯罪者か警察官を主人公とするハードボイルド小説の旗手だった大藪春彦にして、『汚れた英雄』の主人公 北野晶夫は、誰も殺さないし、銃を撃ったりもしない。また、当時の日本人最速レーサー 伊藤史朗や高橋国光といった著名レーサーたちが実名で出てくるところも違う。

晶夫は、自分の命とも思えるほど愛する二輪の、レーサーとして世界を純粋に目指しており、金の重要性は十分に理解しつつも、金のためではなく、自分自身の満足感とスピードへの陶酔感のために走る。実際、彼はプロレーサーとして名を挙げる前に、富豪の娘を虜にすることですでに一生分の金を得てしまうのだが、そのことを恥はしない代わりに、かえって一流のレーサーになって自己実現を果たさなければ、自分のプライドを満たせないと固く誓うのである。


日本企業が欧米を凌駕することだけを目指していた頃

大藪春彦を読んでいるという若者を最近は見たことがない。
司馬遼太郎であれば、いまだにさまざまな作品を手に取ったり、人に勧められたりすることが多いと思うが(実際僕も司馬作品はすべて読了しているが)、例えば『竜馬がゆく』とは別の次元で、『汚れた英雄』を読むことを勧めたいと僕は思う。

大藪春彦作品は、漫画で言えばゴルゴ13に近く、非情で冷酷な主人公たちの活劇なので、フラストレーションのはけ口として読むには良い。米国のチャンドラーやハメットなどと比することができる、面白い作品がたくさんあると思う。
しかし、この『汚れた英雄』は、前述のように、目的のためなら手段を選ばないとか、法律を破ることをなんとも思わないアウトローたちとは違って、既存の枠組みの中で、誰よりも速く駆け抜けたいと願う若者の情熱が描かれている。
竜馬と違って日本を変えたいというような大義があるわけではない。ないのだが、竜馬にしたって、幕府を倒したいとか日本を守りたいといった目的はあとづけで、本当は単に海外に自由に雄飛したいとか、思う存分船に乗って貿易をやってみたいという個人的な夢が先にあったと思うのだ。それは北野晶夫も、今スタートアップでIPOあるいは一攫千金を目指す若者だって変わらない。

『汚れた英雄』では、本田やスズキ、ヤマハらがヨーロッパの強豪メーカー(当時はMVアグスタが最強だった)に挑戦して、東洋の田舎者だとか、黄色い猿と蔑まれる中を歯ぎしりしながらも耐え忍び、実力で高い地位を勝ち取っていった模様も描かれている。

バイクが好きなら、その背景も知っておきたい。
日本のバイクは世界最強にまでなったが、いまやその地位はぐらつき始めている。その挑戦の過程を今一度知ることで、挑戦者としての気分を取り戻すことができるのではないか?

バイクが好きかどうかではなく、日本人としての気概や気合がどれだけ素晴らしかったか、野心を抱く若者の挑戦がどれだけ爽快であったか、確かめるためにも本書を読んでもらいたい。