一生モノをなかなか見つけられない、ちょっと可哀想な時代

僕は時計も好きだし、カメラも大好きだ。

ところが、最近ではスマートウォッチみたいな、ソフトウェアで制御して、CPUで動かすみたいなハイテクグッズが登場して、時計もまた2-3年で買い換えないとならない、消耗品になりつつある。Appleファンの僕としてはAppleWatchは、初代は見送るものの、いつかは買ってしまいそうだ。

カメラに至っては、古いライカを買いたいとは思いつつも、結局はデジカメじゃなければならないわけだし、数年おきに性能が倍々になっていく。今 愛用のカメラも、数年後にはやっぱり買い換える。性能だけじゃない、記憶媒体が変わっていけば、今のカメラはそのうち使えなくなってしまうのは、どうしても止められない。

ならば洋服ならどうかというと、これまたファッションやモードのトレンドはどんどん短くなって、数年も経てばどんなに高価な服でもちょっと着づらいムードになっていく。


時代に抗う強者たち・・

その点、バイクやクルマは、いまのところ一生モノとして、死ぬまで付き合えそうな相手を見つけることができる状況にある。

忘れもしない、3.11の大地震によって、中央集権型の発電所からの配電が意外に脆いということがわかってしまったこと。
そして、シェールガスなどの化石燃料の埋蔵量が当分枯渇しなさそうな状況。
さらに、このところの石油価格の下落・・・。

これらの大人の事情から、数年後には市場を圧倒するかと思われたEV(電気自動車)や、電動バイクが化石燃料による内燃機関=エンジン付きのクルマやバイクを完全に時代遅れにするには、まだまだ力不足、という認識が一般化してしまった。EVがガソリン車をシェアで追い越すには、あと30年くらいかかりそうな見込み、それが現実だ。

EVが普及しないという状況がいいと言っているわけではないが、ガソリン車に郷愁を覚え、エンジン音にこそ心を震わせる僕の世代にとっては、命拾いをしたというところかもしれない。

諸々の事情によって、エンジンからモーターへのパワーシフトが遅れ、結果として僕たちが愛する旧車たちの延命が実現したわけだ。

バイクを愛するすべての者へ

いま十代から二十代の前半の若者にとっては、もしかしたらいま走っているクルマやバイクは一生モノではないかもしれない。

しかし、最近急増して、市場を支えている30-50代の中高年のリターンライダーにとっては、若かりし頃に憧れた60-90年代のバイクを今購入しても、ずばり一生モノとして、死ぬまで付き合うことができるだろう。

それは幸せなことかもしれないし、時代遅れの恐竜に対して、意味のない愛を捧げることかもしれない。

いずれにしても、僕たちはいま、大好きなバイクにまたがり、街を走り抜く自由を失っていない。昔よりは控えめなエグゾーストノートを轟かせながら。

いつかは消え去る、そういう存在。
でも、僕たちもまたいつかは土に還る。
真冬だろうが、風が吹こうが、少しでも愛車に触れようじゃないか。走ろうじゃないか。長いようで短い、短いようで長い、僕たちに残された時間の中で。

一生モノ。手に入れた喜びを、誰かと共有しよう。一人で噛みしめてもいい。とにかく、少しでも長く、走ろうじゃないか。