ネオテニーという言葉があるwikipediaによれば
まさに日本男子の精神的幼さのことと言えるのではないだろうか。
例えば女性からすると男性が行く「風俗」の区別というのはよくわからないだろう。キャバクラ,銀座のクラブ,ヘルス,ソーププランドハードからソフトまで色々ある。後者の二つは性的なサービスであるが,前者の二つは基本女性が話相手になってくれるところだ。その中で銀座のクラブは接待も多いし,それなりに成功した男性が行く社交の場としての性質が大きい。
問題はキャバクラだ。キャバクラのホステスの女の子を口説く目的で通う男性はまだ狩猟本能があり健全だろう。しかし意外と多いのは女性に接客してもらい男性として優位に立つことの精神的喜びを享受にしにいく男性だ。キャバクラでは自慢話も女性が聞いてくれる。「すごーい!」とか合いの手もちゃんと入れてくれる。これだけの数のキャバクラが存在しているということはお金を払うことで短時間でも自分が女性に対して上位に立てるという男性としての征服欲と自己顕示欲の混ざったような欲望を満たす男性の数がとても多いということだ。
実はこの構造は日本のアイドルの幼さにも表れている。日本ではセクシーな大人の魅力を出すアイドルよりもかわいい処女性を出している女性の方が人気だ。男性からすると処女というのは絶対的な優位性をもてる存在だ。何しろ初めてなので自分が未熟でも大丈夫だ。性体験の多い女性はそれだけで男性から敬遠されるのは自分が優位に立てないという精神構造からだ。
杉本彩と壇蜜な同じセクシー路線でも全然アプローチ方法が違うのだ。杉本彩は「かかってきなさい」だが壇蜜は「殿方」と男性をたてる。これだけで日本男性は安心する。ラテン男子は杉本彩に挑戦するだろうが,日本男子は最初から敬遠する。壇蜜の方がまだ自分が優位に立てそうだから安心する。しかし,これでは男女の健全な関係は構築できない。女性がエロスを安心して解放するためには精神的対等性が必要だ。SEXにおいて男性を優位に立ててあげないとと考えていては演技しかできなくなる。
我々男性達は今こそネオテニー状態から脱皮し,退廃主義的価値観を持つ必要がある。処女に愛されて満足することは卵から生まれたひよこが「ぴよ!」と言っているのと同じだ。明日から1000人の男性と経験のある女性からあなたは「今までのどの男性よりも私を官能的にしてくれたわ!」と言われて喜ぶ男性になろうではないか。