みなさんはプジョー、と言ったらフランスの自動車メーカー、をまずイメージすると思いますが、実は2輪車メーカーとしての歴史も長いブランドなのです(戦後はモペッドとスクーターがメイン)。そんなプジョーの2輪部門は、2014年にインドのマヒンドラの傘下に入ることになりました。

イタリアの国内選手権を制し、世界へステップアップ。

マヒンドラの世界ロードレースGP(モトGP)へのチャレンジは、2ストローク時代の2010年(125ccクラス)からスタートしていますが、2012年のモト3(4ストローク250cc)に移行してからも、ホンダやKTMを相手にその存在感を示し続けています。

画像: プジョー・ブランドで来年度のモト3に参戦する、MGP3O。車名末尾に「O」を入れるのは、マヒンドラの車両のネーミングのセオリーでもあります。 static.allaguida.it

プジョー・ブランドで来年度のモト3に参戦する、MGP3O。車名末尾に「O」を入れるのは、マヒンドラの車両のネーミングのセオリーでもあります。

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画像: ミラノショー(EICMA)でお披露目された、プジョーのモト3チーム。フランス人のアレックス・マスボーと、イギリス人のジョン・マックフィーがライダーに起用されます。 put.edidomus.it

ミラノショー(EICMA)でお披露目された、プジョーのモト3チーム。フランス人のアレックス・マスボーと、イギリス人のジョン・マックフィーがライダーに起用されます。

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今年のイタリア選手権、CIV モト3では、16歳のマルコ・ベッツェッキがタイトルを獲得。マヒンドラのモト3マシンは、イタリアにある技術センターで開発されていますが、今年度のモト3ではライダーランキング14位が最上位でした。

プジョーのレジェンドバイク、"ヘンリー"ことM500。

1907年、最初のマン島TTの2気筒クラスで優勝したノートンに搭載されていたエンジンは、プジョー製のVツインでした(添付の記事をご参照ください)。その他、第二次大戦前に数々の速度記録を樹立するなど、プジョーは優れたモーターサイクルを作るメーカーとして知られていたのです。

そんな同社のモータースポーツ活動の中で、最も有名なモデルと言えるのが"ヘンリー"こと、M500でしょう。スイスのエンジニア、アーネスト・ヘンリーが第1次世界大戦前の1913〜1914年に開発したM500は、空冷4ストローク2気筒DOHC4バルブ・・・という、当時としては極めてモダンな仕様が与えられた高性能車でした。

画像: 当時のプジョー・ファクトリーライダー、ポール・ピアンが跨るのがM500。レイアウトはパラレルツイン。バルブ駆動はギアトレインを採用していました。 s-media-cache-ak0.pinimg.com

当時のプジョー・ファクトリーライダー、ポール・ピアンが跨るのがM500。レイアウトはパラレルツイン。バルブ駆動はギアトレインを採用していました。

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画像: まだサイドバルブ方式の4ストローク単気筒エンジンがロードレースの分野で活躍していた当時、M500のハイメカニズムぶりは群を抜いたものでした。62 × 82 mm=495 ccで、最高出力は15馬力。最高速は122.2km/hをマークしました。 4.bp.blogspot.com

まだサイドバルブ方式の4ストローク単気筒エンジンがロードレースの分野で活躍していた当時、M500のハイメカニズムぶりは群を抜いたものでした。62 × 82 mm=495 ccで、最高出力は15馬力。最高速は122.2km/hをマークしました。

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第1次世界大戦の勃発により、M500の開発は残念ながらピリオドを打つことになりました。このモデルの生誕100年を記念し、Jean Boulicotなるフランス人がオリジナルの図面からM500を復刻し、2010年の「レトロモビル」に展示したことは、当時クラシック業界の話題になりました。

こちらの動画は、マヒンドラがインドのメーカーとして初めてのGP表彰台(2013年マレーシアGP3位)を、ミゲル・オリベイラのライディングにより獲得した時のものです。ホンダ、KTMというこのクラスの強大なライバル相手に、来年度はプジョーブランドでも参加するマヒンドラがどれだけ活躍できるのか・・・注目しましょう。

Miguel and Mahindra make racing history in Malaysia

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