『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて1975年〜1985年の完結まで、多くの読者からの支持を集め、10年に渡り長期連載された『 750ライダー 』。
少年漫画としても、バイク漫画としても歴史に名を残した大ヒット長編バイク漫画がどのように生まれたのか・・・。この連載ではモーターマガジン社から出版されている「750ライダーファンブック」の記述を元に750ライダーの誕生までの経緯から、制作現場の裏事情をご紹介していきます。(akiko koda@ロレンス編集部)

石井いさみさんの作家デビューから売れっ子になるまでの道のり

一般家庭にはテレビの普及さえままならない、1950年代後期、子供たちにとってコミックを読むことは、最大の楽しみのひとつであり、心の拠りどころだった。月刊誌が全盛のころだから、御贔屓の作品が次回どんな展開を見せるのか、1カ月の間、胸を焦がしながら待つことになる。しかし、これは意外に苦痛ではなかったようだ。むしろ何度も読み直し、先に続く物語を空想することは、大きな楽しみですらあった。
そんな時代、東京都立蔵前工業高等学校に通う高校生だった石井いさみさんは、2級建築士の資格を取得して実家の建築設計業を継ぐべく、連日、製図版に向かっていた。だがコミック作家になることへの憧れが学業に負けないほど強かった石井さんは、池袋にあったあの「ときわ荘」へも足しげく通う。 (文:船山 理)

画像: 750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

750ライダー カラー画集~前編より~@750ライダーファンブック

「ときわ荘」といえばあの手塚治虫さんや石森(後の石ノ森)章太郎さん、赤塚不二夫さんなどの著名な漫画家が居住していたことで有名ですよね。
そんな著名人との出会いもあり、石井さんのコミック作家としてのデビューは早く、高校在学中だった57年でした。しかしデビューはできるものの、出版社からの注文は常に不定期という時期が続きます。これは、作家石井さんに限ったことではありません。この時代は雑誌の数も少なく、それだけ実力ある作家たちあふれた漫画家戦国時代だったのです。

人気獲得のための奇想天外な戦略

当時の主要媒体である月刊コミック誌の書き入れどきは、読者である小中学生が夏休みに入る7月、そして年末年始の正月休みの2つが頂点だった。毎年この時期になると、各出版社が大量の夏休み・新年の臨時増刊特別号を世に送り出し、連載を抱えている人気作家は言うに及ばず、執筆可能と思われる作家なら手当たり次第に声をかけまくるという、一種の戦争状態に突入する。
石井さんもその例外ではなく、それまで描いたことのない雑誌からも、多くの声がかかった。しかし石井さんは、そのとき一計を案じる。ある年の夏休み増刊号シーズンに、石井さんは 執筆の依頼を、片っ端から断ってしまったのだ(文:船山 理)

せっかくのチャンスのはずなのに、なぜそんな挑戦的な行動にでたのか・・・石井さんにはとっておきの戦略があったのです。

編集者はガッカリする暇もなく、描いてくれそうな他の作家のもとへと散って行く。一方、石井さんは誰にも内緒で、こっそりと膨大な量の作品に取り掛かっていた。 ひどく暑い夏の盛りに、もうひとつのピークである正月休みに向けた物語を、大量に描きためるという作業だった。

誰も思いつかなかったこの作戦は、その年の正月休み増刊号で見事に的を射ることになるのです!

今度ばかりは山のように来た執筆依頼を、ひとつも断ることなく応えてみせたのだ。この結果、正月に書店に並んだほとんどのコミック誌の巻頭に、ことごとく「作・石井いさみ」の名前が載ることになったのである。これは各雑誌の編集部に「 石井いさみは超 売れっ子だ 」という印象を植え付けるのに、充分な出来事だった。 (文:船山 理)

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