自律的に学習し、進化するAI(人工知能)をインストールされた警察用ロボット「チャッピー」。急速に進化するチャッピーだったが、彼のボディは廃棄用であり、あと5日しか保たないものだった。
『第9地区』(2010)『エリジウム』(2013)と、近未来の世界を独自の視点で表現し続けるニール・ブロムカンプ監督。サイエンス・フィクション映画の鬼才としてその地位を確立した彼が解釈する「AI」とは―。シャールト・コプリー、デーヴ・パテル、シガニー・ウィーヴァー、そしてヒュー・ジャックマンを迎え、ニール監督としての原点的野心作が誕生した。
ボクは…2016年…犯罪多発都市南アフリカ ヨハネスブルグで生まれた。ボクの寿命は…5日間。
加速度的に成長する「AI」。ただ「生きる」ことを目的とし、チャッピーは人知を超えた行動に移るが…我々は衝撃の結末を目撃する。
廃棄寸前のマシンにインストールされたAIが”意識”を生んだ。
南アフリカの兵器開発会社に勤務する天才エンジニア ディオン。会社はスカウトと呼ばれる人型ロボットを警察用に開発し、多額の利益を得ていた。
そんな中。ディオンは密かに完璧なAIの開発を続けていた。美術品や花をみれば美しいと感じ、生き物を愛おしいと思えるような完璧な知能を持つコンピューターソフトウェアだ。
しかし、会社はディオンの開発継続を認めず、彼は廃棄処分予定の故障したスカウトにAIをインストールすることを思いつく。しかし、スカウトを車外に持ち出した直後にディオンは、ギャングに拉致され、その場でスカウトへのAIのインストールを強要されるのだ。
そして、「チャッピー」が生まれた・・・。
データはコピーできても意識はコピーできない。
チャッピーはギャングに育てられ、純粋な心を持ちながらも結果的に悪事に加担させられてしまう。
彼のボディは溶解したバッテリーが載っており、生まれた時から数日分の容量しかなかった。”死にたくない”一心で、チャッピーは新しいボディを買ってやるというギャングの言葉を信じてしまうのだ。
また、創造者であるディオンも意味深いことを言っている。仮に新しいボディを買えたところで、チャッピーを救うことはできない。なぜなら彼の中にあるのはデータだけでなく、”意識”だから。データはコピーできても、意識はコピーできない。なぜチャッピーの中に意識があるかも、ディオンでさえも解明できないのだ、と。
チャッピーが生きているすれば、それは意識があるからであり、命とは意識に他ならないのだということである。
AIが人類を滅ぼしかねない”悪魔の発明”だとして、多くの識者がその開発の反対をしている。
その是非はともあれ、本作『チャッピー』は、悪いことをするのは結局は人間であり、AIそのものが悪いのではなく、周囲の人間、その環境こそが白いものを白くもするし、白いものを黒くもしてしまう、ということを教えてくれるのだ。ダイナマイトを武器にしたのも人間だし、核融合を兵器に買えたのも人間だ。
良くも悪くも、テクノロジーは純粋だ。それを悪用するも有効活用するも、すべては人間の所業なのである。
ちなみに、本作はハッピーエンドだ。100%ハッピーとは言い難いが、そう言っていいだろう。
意識はコピーできないが、移動はさせることはできた。
AIが何か、ということ以上に、生命とは何か、という命題に触れる作品になっている、そう言っていい。