今の時代、モーターサイクルの足まわりといえば、前:テレスコピックフォーク、後:スイングアームが定番化していますが、モーターサイクルの黎明期と発展期・・・19世紀末から第二次大戦前までの時代は、様々な足まわりが世界中のメーカーによってトライされていました。
ハブセンター・ステアリングを採用したネラカー。
ここに紹介するネラカーは、そんな変わりダネの足まわりを採用するモーターサイクルの一例です。サスペンションとステアリングを切り離した、ハブセンター・ステアリングを採用するのが、その最大の特徴です。開発したのは、カール・ネーラッハー(Carl Neracher)なる人物。この名前にちなんで、ネラカー=Neracarというネーミングになりました。
車名にCarとつくことが示すように、このモーターサイクルは4輪自動車よりも安価なカー、というコンセプトで生み出されました。ロングホイールベースで操縦安定性に優れ、本格的なライディングギアに身を包む必要なく、普段着で乗れるシャシー構成など、既存のモーターサイクリスト以外の層の需要を狙った作品でもあります。
1918年のプロト完成の後、このビジネスへの投資が募られました。これに応じた投資家集団の中には、安全剃刀の開発で巨万の富を築いたキング・キャンプ・ジレット・・・今も有名な剃刀メーカーのジレットもいました。安価で誰でも乗れるクルマの代用品という狙いに、ジレットも将来有望と感じたのでしょうね。
イギリスでも製造販売されたネラカー。
ニューヨーク州のシラキュースで1921年から量産されたネラカーですが、同年からネラカーは英国のシェフィールド-シンプレックス社からもライセンスを取得し生産されています。1922年には、ネラカーのプロモーションのために、大陸横断レースの英雄、アーウィン"キャノンボール"ベーカーがネラカーによる北米大陸横断に挑戦。ニューヨークのスタテン島からカリフォルニア州ロサンゼルスまでの3,364マイル(約5,414km)を174時間1分で走破。実はベーカー、のちにロサンゼルスでネラカーのディーラーを開業します。ジレットの投資、英国ライセンス生産の話と合わせ、いかに多くの人がネラカーの成功に期待していたかわかります。
しかし、結論から言うと、ネラカーは大成功・・・とはなりませんでした。アメリカでは2ストローク221ccのモデルAからスタートしたネラカーでしたが、1927年暮れにその生産を終了。英国では4ストロークのブラックバーン製348ccを搭載するタイプが登場したり、リアにリーフスプリングのサスペンションを備えたデラックスモデルが作られたりとしましたが、米国より1年早い1926年に生産終了しています。
一説には米国で1万台、英国では6,500台が生産されたと言われるネラカーですが、当時のモーターサイクルの生産台数としてはまぁまぁとしても、4輪車の代用品としての期待値からすれば、満足できる成績ではなかったのでしょう。
海外では、生き残りのネラカーをクラシックイベントなどで見ることができます。どんな乗り味なのか、一度乗ってみたいモデルのひとつです。