“オーバー・ザ・トン”という言葉を、皆さんは聞いたことがあるでしょうか? このトンとは、マン島TTの周回平均時速100マイル(約160km/h)を指し、オーバー・ザ・トンはそれを超える記録を意味します。現代のマン島TTでは平均時速120マイルも当たり前!! というレベルになっていますが、当時のマン島TTではそれは夢のスーパーラップでした。


マン島TT史上初の"オーバー・ザ・トン"

ゴールデンジュビリー・・・50周年を迎えた1957年のマン島TTは、振り返るといろいろな話題で彩られた大会でした。最初のレースである350ccクラスで優勝したジレラのエースライダー、ボブ・マッキンタイアは、その勢いを最終レースとなった最高峰500ccクラスまでキープしました。


横風の影響を受けやすいという理由から、この年を限りにGPで禁止されたダストビン(ゴミ箱)フェアリングを身にまとったジレラ4気筒を駆るマッキンタイアは、MVアグスタ4気筒、モトグッチV型8気筒(!)などの強力なライバルを退け、ついにマン島TT史上初のオーバー・ザ・トン=平均時速101.12マイルを達成して優勝します。


画像1: 1957年TT・・・マン島今昔物語 #3

出典:http://imgc.allpostersimages.com/images/P-473-488-90/37/3723/GLTAF00Z/posters/bob-mcintyre-on-


この年を限りに、ジレラ、モトグッチ、モンディアルのイタリア3大ファクトリーチームは、世界ロードレースGPから撤退することになり、その後しばらくは唯一残ったイタリア勢の大規模ファクトリーチーム、MVアグスタがライバルのいないシーンを席巻することになります。しかし、マッキンタイアとジレラがこじ開けた”オーバー・ザ・トン”の扉に着目すると、その後1960年代の日本勢がロードレース界にもたらした技術革新が、如何にすごかったかがよくわかります。


記録でわかる、日本勢の勢いのすごさ

1959年からマン島TTに参戦したホンダは、1965年のマン島TTでJ.レッドマンが350cc、250ccの両クラスでオーバー・ザ・トンを達成。6周の350cc決勝でのレッドマンの優勝タイムは、500cc王者のマイク・ヘイルウッド(MVアグスタ)よりもはるかに速いものでした。もっとも500ccクラスではライバル不在で、ヘイルウッドがペースを上げる必要がなかったこともありますが・・・。


出典:British Pathé 


さらにその3年後の1968年度の大会では、水冷2ストロークV型4気筒125ccのRA31Aをフィル・リードとビル・アイビーに託したヤマハが125ccクラスでオーバー・ザ・トンを達成。1907年から欧州勢が半世紀の時間をかけて実現したオーバー・ザ・トンを、ヤマハはその約10年後に1/4の排気量で実現したことになります・・・。


画像2: 1957年TT・・・マン島今昔物語 #3

出典:http://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/riders/


ちなみにこちらの動画は、2014年にブルース・アンスティ(ホンダCBR1000RR)が記録した時速132.298マイル(約212.91km/h)の走りを収録したものです。その車上の眺めは、こちらの動画で疑似体験することができます・・・(怖いですね・・・)。


出典:Official Isle of Man TT

※第4回は、こちらのリンクからお読みください。

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