1995年に講談社の「週刊ヤングマガジン」で連載が開始された、しげの秀一先生の永遠の名作「頭文字D」。限りなくリアルなバトル描写や迫真のスピード感。すべてのクルマ好きの夢が詰まったDの世界。その中でも一番の見せどころである様々な強敵との峠バトル!今回は秋名のハチロクvs啓介FDに注目したいと思います。

早朝の秋名に現れた謎のハチロク全ての「夢」はここから走り出す!

画像1: (頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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群馬県内のワインディングはもちろん、関東全域を総ナメにしてコースレコードをも塗り替えるという赤城レッドサンズの「関東最速プロジェクト」。手始めに秋名に乗り込んだレッドサンズは次週の交流バトルをスピードスターズと約束し、プラクティスに入った。
高橋啓介は朝の4時まで走り込み、帰途のダウンヒルで1台のクルマに張り付かれる。峠仕様のFDをアオるのは、「ハチロクだとォ!?ふざけんなァ」。レッドサンズのナンバー2である啓介でさえ減速する緩い右に続くRのきつい左コーナー。ハチロクはハイスピードで進入し、完璧な慣性ドリフトで啓介を千切った。
そしてスピードスターズとレッドサンズの交流戦当日、あのハチロクに乗って現れたのは拓海!拓海ハチロク対啓介FDの公式バトルが始まる…。

後のプロジェクトDではチームのエースドライバーとしてとして共に戦う事になる拓海と啓介。実は頭文字Dでの第1バトルは秋名山でのこの2人の戦いだったのです。

画像2: (頭文字Dファンブック©しげの秀一©講談社©モーターマガジン社) www.motormagazine.co.jp

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このバトルに参加するまで、全く峠バトルに興味が無かった拓海を駆り立てたもの、それは、なつきと日曜日に海に行くため、ハチロクを貸して貰うため!しかもガソリン満タンという好条件付き。好きな女の子とデートに行く為に、怪我をしたバイト先の先輩池谷の助っ人としてこのバトルに参加する事を決めたのでした。

バトルフィールド:秋名山

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拓海が父親、文太のAE86でドリフトしながら5年間とうふの配達に通い詰めた峠でした。

勝敗の結果

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最後のヘアピンで誰もが自殺行為だと感じるぐらいのオーバースピードでのツッコミから曲がり切るという神業を見せ、勝利を掴んだ拓海のAE86 。

啓介のFDより速いスピードで曲がれた理由は、見物していたギャラリーでも理解できない程のものだったが、排水用の側溝にタイヤをひっかけて遠心力に対抗する「溝落とし」を使ったことを兄の涼介が見抜き、解明された。

それは同時に、啓介が拓海の天才的なドライビングテクニックを認めざるを得ない瞬間だった。

そして、2人はDプロジェクトのエースドライバーとしてお互いを認め合っていったのです。

次の日のデートの為にこのバトルに参戦した拓海は、このバトルで車の楽しさに目覚め、楽しみにしていたデートは上の空だったというエピソードには、1つの事にしか夢中になれない”ザ!!男の子”という1つの事を突き詰めていく拓海の性格を感じます。

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