男はいつまでオートバイ乗りの精神を持ち続けていられるのか。男はなぜオートバイに惹きつけられていくのか。そして男はなぜ速いものに憧れ、速いものを憎むのか。「バイク乗りのバイブル」としてバイクを愛する男たちに愛され続ける『キリン』の物語を紐解いていきたいと思います。
「キリン」と名乗る論拠
クリスマスの華やぐ街で、顔なじみのバー「VIRA」で若い娘をナンパする。飲んでいたのは女がドライマティーニ。そしてキリンはオールドの水割り。連れ込んだ自室の壁にはなぜかポルシェのポスターが貼ってあり「おじさん好きなんだあ」と聞かれると「好きなわけじゃないんだ」と嘯いて見せる。娘に名前を聞かれて「キリン。キリンさんのキリンだ」と答える。それ以外に、男が自分で名乗る場面はない。ワインで悪酔いしているのに、女に触発されたように「2か月ぶり」に(当時の)愛車BMW(RS)に火を入れ、夜明けの街を闇雲に走り、信号待ちごとにおう吐する。
この物語の主人公の名前は「キリン」。しかしそれは本名ではない。キリンはわが子がライオンに食い殺されるのを目の当たりにしながら「泣かない」。その事がキリンを「キリン」と名乗らせた所以だという。
あなたが「キリン」を名乗る時、どんな男になりたいと思いますか?
「キリン」が泣かない理由を”キリン”がどう解釈してその名を名乗ったのか。「自分がどれ程の男で、どんな男になりたいか」そのギャップを埋めていこうとする生き様に共感させられずにはいられない。それがキリンという物語に憧れざるを得ない理由の1つだと思います。
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