1981年開催の東京モーターショーに、突然姿を見せたZ750ターボ。当時の日本は、カウルを風防としてようやく認定した時期で、これらを装着するのは輸出車に集中していました。国内4メーカーで最後発となるカワサキ製ターボは、リベット留めのアルミ製ハーフカウルを装備、タンクから流れるような造形のサイドカバーとテールカウルはシルバー、それ以外は黒とされました。
このターボの外観を初めて量産車で具現化したのがGPz1100であり、同車はGPシリーズを250ccまで拡大させるきっかけとなりました。
この流れの前兆は、1981年12月から生産されたZ400GP(KZ400-M1)に見られました。
GPz1100(Zx1100-A1)の生産は1982年12月から開始され、マシンはただちに、ストリートバイクに熱心だったアメリカのサイクル誌に独占試乗されました。
1983年1月に発売された同年2月号には、「市販車で初めて100ps以上をシャシーダイナモでマークし、ゼロヨンは10.18秒、ユニトラックサスを持つステディなマシン」であるとの評価が述べられています。同じくモーターサイクリスト誌の1983年3月号は「GPzは本当に変わった!」、1983年6月号のサイクルワールド誌は「ロードレーサーに最も近いマシンである」、英バイク誌は「4バルブのマシンたちをうちまかした!」と絶賛。
1984年型のA2では、カウルや排気系の装着部を強化するとともにカラーを追加、1985年モデルのA3まで生産され、その後1100ccモデルは水冷の時代へと移行、ZZR1100(Zx1100-C)に継承されました。