実話ベースの、文字どおり息苦しくなるストーリー
1996年、ニュージーランドのアドベンチャー・コンサルタンツ社(AC者)は、1人65,000ドルでエベレスト営業公募隊を募集した。探検家のロブ・ホールが引率して、世界中のアマチュア登山家と共に5月10日に登頂を果たすというツアーで、いわゆる商業登山隊(ガイド3名・顧客9名)であった。にもスコット・フィッシャー(Scott Fischer )が引率するマウンテン・マッドネス社公募隊も行動を共にすることになった。日本人の難波康子も参加した。
エベレストを登るということは、もともとは生死を賭けた冒険であったが、1990年代中盤には、もちろん遭難のリスクは多少なりともあるものの、名誉のために無謀な挑戦も辞さない冒険家以外にも、必要な費用さえ捻出できれば、アマチュアの登山家であっても公募隊での登山に参加できるようになっていた。プロのシェルパやガイドによって確保されたルートを登るので、過酷で危険ではあっても、死のリスクは過去とは比べられないほど軽減されるようになっていたのだ。
しかし、それでもやはり事故は起こる。そもそも高度8000メートルは航空機が飛行するような高さであり、人間の体がその環境に耐えられるようにはできていないからだ。
また、高山での天候はまさしく猫の目のようにコロコロと変わる。思ってもないタイミングで嵐に会うことだってあるし、氷の塊が落ちてきたり、それこそ雪崩がいきなり起こることだってある。
本作では、多くのトラブルに見舞われながらも頑なに登頂を目指し、ベテランクルーたちの警告を聞き入れなかったメンバーたちの意固地さが大きな災厄を引き起こし、多くの人命を失わせる結果となってしまう。また、AC社も、一人も登頂させることができないとすればガイドとしての能力を疑われる、という懸念があったのだろう、結局無理を重ねて事故へとつなげてしまうのである。
恐ろしく空気が薄い高地が舞台であり、見ているほうもひどく息苦しくなる、そんな映画である・・。
管理されたリスクはリスクではないが、自ら計算を守らなければ死地に陥る
ちなみに、朝早くから登山を開始するが、もし14時までに登頂できなければ、引き返さなければならない、というルールがあった。
しかし、本作ではそのルールを守らず、14時過ぎてからの登頂となり、それが下山時の悲劇を生むことになる。
つまりは、リスクは計算できていれば(管理されていれば)もはやリスクとは言えないが、その事前の計算を自ら破ることがあれば、それは再びより大きなリスクとして降りかかることになる、ということだ。
これは登山に限ったことではなく、あらゆる人生の挑戦において言えることである。本作を見て、その過酷な挑戦に息苦しさを覚えたとしたら、実際の自らの挑戦においては、あらかじめ決めた撤退ライン(Point of no return)を絶対に守り、その線を超えるような無謀さを断じて戒めるべきだ。
それが本作から得る、最大の教訓となるはずである。