2002 YAMAHA YZR-M1:M1=Mission 1st! 960cc+キャブレターでスタート
(Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016@モーターマガジン社)
2002年のモトGP元年に向け、ヤマハが作り上げたのは、990ccの強大なパワーをきちんとコントロール出来る、きちんと扱いやすいレーシングマシンだった。並列4気筒エンジンを、2ストローク500ccマシンYZR500用のフレームをベースとした車体に搭載するという、オーソドックスな開発手法である。
そのため、990ccのフルサイズ/フルパワーでは容易にタイヤグリップの限界を超え、ライダーもコントロールできないはずと、ヤマハは新4ストロークエンジン開発を940ccでスタート。吸気方式も、より人間の感覚に近いメリットを生かしてキャブレターを採用していた。
そんなYAMAHA渾身のマシンを投入したにもかかわらず、第10戦チェコでようやくマックス・ビアッジがシーズン初勝利を納めるまでは、V型5気筒エンジンを投入してきたホンダに中々勝てないでいた。結果的なランキングは2位だったものの、シーズン中にアップデートを重ねてやっと勝利を掴めたという順調ではないスタートだった。
2003 YAMAHA YZR-M1:完全新設計で臨むも シーズン未勝利に
(Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016@モーターマガジン社)
電磁クラッチによるエンジンブレーキの制御や、ツインインジェクター式フライバイワイヤーEFIの採用など、シャシーからエンジンまで完全新設計で挑んだ2003年。パワーも230PSまで向上した等間隔爆発の直4エンジンを搭載したが、エースとして期待されたA・バロスが開幕前からの転倒負傷が回復せず、本来のポテンシャルを発揮できずに終わった。ドライレースの最高位はC・チェカの7位で、ついにシーズン未勝利という屈辱を味わうことになった。
2003年はエースだったビアッジがホンダへ移籍し、新たにエースライダーとなったカルロス・チェカとアレックス・バロス。この2人はマシンを速く走らせる能力には長けていたが、マシンを開発する事ができなかった。その結果マシン開発が進まず、暗黒の時代を迎えることになる。
2004 YAMAHA YZR-M1:クロスプレーンクランクの採用でMotoGP初の個人タイトルを獲得
(Racing オートバイ MotoGP GRAPHICS 2016@モーターマガジン社)
世界チャンピオンのV・ロッシを迎え、テストで選ばれた4バルブ不等間隔爆発の新型エンジンを搭載したM1をデビューさせたヤマハは、開幕戦で2年ぶりの勝利を飾ると、強豪RC-V軍団を相手にロッシが孤軍奮闘。最終的には16戦9勝でヤマハにMotoGP初の個人タイトルをもたらした。2003年の課題とされたトラクションコントロールとエンジンブレーキ制御は、新たにEMS(エンジンマネージメントシステム)の採用により解消されている。
この年からYAMAHA×ロッシ=最強の構図が確立。マシン開発やチームの体制など全てを一新し、ロッシに託す事で初のシリーズチャンピオンを獲得する。ロッシ選手は当時24歳。10年以上経った今でも優勝争いをしている選手な事に感動を覚えるのは私だけではないと思います。
そして、現在の強いYAMAHAの基礎を築いたのもロッシ選手だったのですね!