「奥義」から「トレンド」へ
テレビやネットのない時代にあっては、格闘技・武道には奥義というものが存在していた。技の威力もさることながら、その技を相手に”絶対に”当てる技術もしくはノウハウ。それが奥義だ。
一度しか対戦しない相手であれば、その奥義をいつ繰り出すかが勝負の分かれ目になる。まして、例えば剣術のように、一撃で相手に致命傷を与えられる戦いにあっては、当てれば勝つわけだから、奥義イコール必殺技であり、できるだけその詳細を人目に触れないように隠すのは当たり前だった。
ところが現代にあっては、試合というものは、人に見せることでお金にするわけであり、当然技術を隠しておくことはほぼ不可能である。つまり、どんな素晴らしい奥義でも、一度使えばすぐにその存在はばれてしまうし、有効な技術であればあるほど、録画され、あらゆる角度やあらゆる速度で解析され、すべての秘密は暴かれてしまう。奥義の死、である。
逆に、初めて観る技、そして非常に効果的な技であれば、それは多くの競技者をインスパイアする。そうするとその技をコピーしてパクる者が多く現れるわけで、一つの有効な技術はあっというまにトレンドとなる。
例えば、今のボクシングでは、相手の右ストレートやフックを左のグローブでガードするやいなや、相手の拳が引き戻されるより早く左フックを打つというカウンターが流行っている(サウスポーなら逆になる)。相手からすれば、自分が放ったパンチの直後に、引き戻した拳の影に相手のパンチが飛んでくることになって、完全に死角から強いフックを右アゴやこめかみに喰らうわけであるから、成功すれば非常に効果的だ。
もちろん言うは易しで、ガードに相手の拳が当たってから、どれだけ間をおかずにフックを打てるかがコツな訳だが、少しでも遅れれば引き戻された相手のグローブにガードされて当たることはない。非常に難しい技術なのである。
つまり、非常に有効なテクニックを誰かが発明し、披露し、効果を証明すると、模倣者が多く出るが、模倣者たちはそのテクニックを習得するために多くの時間と工夫を持って鍛錬することになる。それらの模倣者の存在が、ボクシング業界全体のトレンドを生んでいくのである。
(これはボクシングだけでなく、例えばビジネスの場でも同じことが言えるが)
誰も真似できないトレンドを作ったメイウェザー
さて、本題に戻そう。
一時代を築いたメイウェザーだが、40歳を待たずして引退を表明している。49戦して49勝、無敗のまま引退するチャンピオンとしては、ヘビー級の伝説のチャンピオン ロッキー・マルシアノの記録に並んだことになる。
メイウェザーを特徴付けるテクニックは、L字ブロックと呼ばれる独特のフォームと、ディフェンス(防御)を主体として、無理に倒しにいかず着実なポイントを積み重ねていく戦法だ。
ジャブを中心に(下のGIFアニメをみてください)軽く相手をヒットして、ポイントを稼ぐ。もちろん攻勢かどうかの姿勢でも優勢ポイントを与えられるから、手数は少なくない。
それだけなら誰にでも労せずして真似ができそうだが、L字ブロックは左腕を90度にしたままだらりと下げて、相手に左顔面を晒すので、実は非常に危険な構えである。このブロックは相手のパンチを読み切って避けることができる目と、避けきれないときは左肩をグイとあげてガードするための、とても柔らかい肩甲骨の動きが重要だ。トレーニングだけでなく、先天的な柔軟性が必要になってくるのだ。
メイウェザーはこの技術をとことん磨くとともに、30代後半になっても衰えない卓越したスピードを持っていることで世界に君臨していた。ディフェンス中心のボクシングであるが、着弾を恐れて消極的になるのではなく、手数も十分に出すが、相手を無理に倒そうとはしない。相手は凄まじい速さで飛んでくるメイウェザーの”軽い”パンチを受け続けると同時に、自分のパンチが当たらないという状況に苛立ち、どんどん焦っていく。するとメイウェザーの術中にはまる、というわけだ。
このメイウェザーのテクニックを、多くのボクサーが真似たが、結局は出来損ないのクローン(やたら防御にばかり頭がいって手を出さないボクサーや、防御と攻撃が分離してバランスが悪いボクサーなど)を生み、本家を超えるものはついに出なかった。
ただ、メイウェザーにしても、最初から安全運転な試合しかしてこなかったわけではない。
若い頃の彼はそれなりにパワーもあったし、KOを狙う殺気じみた試合も多かった。これまた昨今のトレンドと言えるのだが、最近は複数階級でのチャンピオンを狙って、3階級とか4階級制覇を目指すボクサーは非常に多い。メイウェザーも5階級制覇を達成している(ちなみにこれまでの最高は6階級制覇でオスカー・デ・ラ・ホーヤとマニー・パッキャオが実現している)。
昔はボクサーは階級を変えることは稀で、十代にプロとなって、成長するに従って苦しくなってくる減量に耐えかねて、ようやく階級をあげることを選択する、ということはままあった。
しかし、最近では成長に従って階級をあげるのは珍しくなく、一つの階級の王座を死んでも守り続けるよりも、ビッグマッチを求めて階級を変えることは普通のことだ。
メイウェザーはスーパー・フェザー級(57.153 - 58.967Kg)からスタートして、スーパーウェルター級 (66.678 - 69.853kg) まで階級をあげてきたが、フェザークラスでは背が高い彼も(173cm)、ウェルター以上だと小柄な部類に入る。だから自分より体格に勝る相手と打ち合うより、ポイントを稼ぐ戦法に変えたのも、ある意味やむを得なかった、と言えるだろう。
後継者を産まなかった「トレンド」は今後変容するか?それとも遅れて引き継がれるか
さて、メイウェザーは50戦50勝をして、ロッキー・マルシアノの記録を破る、という名誉に挑むことのないまま、本当に引退するのか?それはいまのところ誰にもわからないが、いずれにしても、もし引退を撤回したとしても、やってあと1戦だろう。
その意味でメイウェザー時代は事実上終了した。
彼が作り上げたテクニックはインターネットにもDVDのような媒体にも、数多く記録されていて、いまからでもその真髄を学ぶことはできる。
本家が去った後で、メイウェザー二世となるものはいるのか?それとも、ディフェンス主体で安全な戦法ではなく、再びアグレッシブでパワーと攻勢で勝ち進む形のボクサーが新たなトレンドを産むのであろうか。
ボクシング業界が今後も盛り上がるかどうかは、メイウェザーをいかに肯定するか、あるいは否定するかの、新しい才能の輝きにかかっている。