画像: 古い自動車は増税されるそうですが、私のZ1000Jはこの先まだ30年は元気で走りますよ

Z1000Jって意外と知名度が低いのです

私の愛車は1982年式 Kawasaki Z1000Jというだいぶ古いバイクだ。ライムグリーンとともにカワサキのレーシングイメージを、初めて市販車に導入したともいえるZ1000R ローソンレプリカは、今でも人気がある車種だが、そのベース車輛であったZ1000Jは意外と知名度が低い。若い人はもちろん、仕事やプライベートで出会った人とバイクの話になり、「Z1000Jに乗ってます」というと「はぁ、そうですか???」という表情をされることがしばしばだし、ツーリングに出かけてもZ1000Jを見かけることはあまりないように思う。

華やかなローソンレプリカの影にかくれて

もちろん、いわゆる不人気車種ではないとは思うが、ローソンレプリカの輝かしい人気の影にかくれたような存在なのだろう。ネイキッドバイクのお手本のようなコンポジションは、多くの人にとっては地味な印象を与えているだろうし、ローレプのベースでありながらレーシングイメージは皆無といっていい。また、同じカワサキでは不動の人気を誇るZ1/Z2やZ1000MkIIと、より現代的なGPz1100やGPz900Ninjaにはさまれた機種というのも、さらに印象を薄くしている原因なのかもしれない。

地味なZ1000Jが愛車となる

そんな“地味”なZ1000Jが愛車となってすでに10年以上になる。それまで様々なバイクに乗り継いできたが、若い頃の絶大な羨望であったローレプは、30歳代半ばを過ぎていた当時の私にはいまさら感もあったし、すでに良質な物件はかなり高価で手がだせるものではなかった。ところがローレプのベース車輛であるZ1000Jはそこそこの手頃な価格だったので、友人である某有名バイクショップの社長に頼んで、程度のいいJを探してもらい、この青いZ1000Jが私のもとにやってきたのだった。

いわゆる旧車にのるということ

すでに旧車だったZ1000Jは、入手してしばらくはあちらこちらの不具合をメンテナンスすることになった。カワサキ系カスタムでは有力なショップを経営する私の友人は、ちょっとくたびれていたZ1000Jをそのつど修理してくれ、私も辛抱強くこの古いバイクとつき合ってきた。特に目立ったカスタムを施していない、ノーマル状態にかなり近い私のZ1000Jは、製造されてから30年以上の時を経て、いまでは新車当時とほぼ変わらない性能を維持していると思う。

70年代以前のビンテージと80年代のクラシック

いろいろな意味でバイクが現代的な姿になったのは1970年代以降、もっといえば1980年前後からではないかと思う。それ以前のバイクは「ビンテージバイク」として、いまも世界中の愛好家に大事にされて、日本でもレジェンド・オブ・クラシック(LOC)といった、ビンテージレースなどでも元気に走っている姿を見るのが楽しい。それに対して近年では、80年代に登場したスポーツバイクは「クラシックレーサー」ともよばれ、テイスト・オブ・ツクバのようなレースイベントで人気となっている。この動向はカスタムカルチャーと同様に、世界でも注目されはじめているようだ。

いまでも色あせないクラシックのスポーツ性能

私のZ1000Jはクラシックレーサーといわれるジャンルに属する、スポーツバイクだ。最新のスーパースポーツにはさすがにかなわないが、箱根などの峠道を走らせると「まだまだ若いものには負けないぜ」と言わんばかりのスポーツ性能を堪能させてくれる。そうして30年以上も走り続けてきたであろうZ1000Jに、私はいまでも古さをあまり感じることがないのだ。そして、私は生涯の相棒として、このZ1000Jにこの先さらに30年は乗り続けたいと思っている。

古い自動車に課せられる増税政策

この頃、13年以上経った自動車は自動車税を増税するという法制が物議をかもしている。内需拡大という国内事情はよくわかるが、ドイツでは逆に車齢30年で減税されるようだ。文化の違いといえば簡単なのだろう。ただ、日本人は古くから「もったいない」という、モノを大切に扱う精神が様々な文化をいまに伝える支えとなってきたのは間違いない。私は「もったいない」からZ1000Jに乗り続けているわけではもちろんない。ただ、若い頃の憧れだったマシンをずっと大切に乗り続けたいという思いもあるし、このザ・スタンダードともいえるバイクが大好きなのだ。

Z1000Jを開発したカワサキの人も想像してなかったかも

私のZ1000Jはきっと、この先の30年もいまと変わらず走り続けてくれるだろう。いま50歳の私はおそらくそれ以上乗ることができないだろうが、誰かが乗り継いでくれたらこのマシンはさらに走り続けるだろう。Z1000Jを開発したカワサキの人も、このマシンがたとえば100年先の未来を走り続けるとは、想像していなかっただろうね。これは同じ工業製品でも、洗濯機や冷蔵庫とかではあまり見られない現象ではないかな。自動車やバイクは工業製品でありながら、それに乗る人のアイデンティティを表現する存在でもあるからなのでしょう。

100年後も走り続ける工業製品としてのバイク

現代のハイテクコンピュータに支配された最新のマシンたちは、はたして100年先の未来でも走っているのだろうか。これはこの先の未来の人たちに託すしかないだろう。あるいはマッドマックスのような世界が現実になっているのかもしれないし(笑)。

とはいえ、80年代に製造されたZ1000Jのようなバイクが、100年とか経っても普通に走っているであろう未来に、私は感動してしまうし、これを大切にしたいなと思う訳です。消費社会とよくいわれるけど、バイクは消耗品ではないよなぁと、自動車税問題を眺めながら思った次第です。長文におつき合いいただけたとしたらありがとうございます。みなさんのご意見もいただけますでしょうか。

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