最近、ロレンス編集部でも大人気?のブリティッシュ・バイクが、"THE VINCENT"ことビンセントのVツインです。黒いエナメル塗装の艶やかさが光るフューエルタンクの意匠、当時量産車最速を誇った迫力満点の外観のVツインエンジン、独特のデザインが興味を引くガードロリックフォーク(シリーズC以降の採用)、創業者フィル・ビンセントがこだわり続け、熟成させたリアサスペンション機構・・・。どこから見てもスキのない、美しいモーターサイクルのひとつと言えるでしょう。
多くの伝説に彩られたモーターサイクル。
ノートン、BSA、そしてトライアンフと、英バーミンガム工業地方に本拠を置いていた各社を、英国モーターサイクル産業の「本流派」とするなら、ビンセントはバーミンガムから遠く離れた、ハートフォードシャーのスティーブニッジという町にあった「個性派」メーカーと言えるでしょう。若きベンチャー創業者であるフィル・ビンセントと、初の自社製エンジンを生み出した天才エンジニア、フィル・アービングという、ふたりの「フィル」の出会いと訣別・・・。ジョージ・ブラウンら、ビンセントレーサーの活躍ぶり・・・。そしてブラックライトニングとともに、世界速度記録に挑んだ男たちの悲喜こもごも・・・などなど、ビンセントにまつわる多くのエピソードは、どれもこれも興味深いものばかりです。
少年のころからの憧憬を反映させた作品。
非オーナーでは日本一ビンセントに詳しい(*私調べ?)、ビンセントファンの私としては、ロレンスで上記のエピソードを紹介する「ビンセントストーリー」でも連載したいのですが、それはそれなりに大変なので、またの機会ということで(笑)。
フォークミュージックに詳しい方ならご存知かもしれませんが、じつはこのビンセントVツインを歌った曲が、1991年に発表されているのです。曲名はズバリ「1952 Vincent Black Lightning」。英国のリチャード・トンプソンの作品です。
60年代後期のイギリスが生んだ英フォーク・ロックの名グループ、 フェアポート・コンヴェンションのリーダーだったことでも知られるリチャード・トンプソン。また70年代初頭にフェアポートを脱退してからのトンプソンは、1974年から1982年までの間に彼の夫人であったリンダ・トンプソンと数々の共作アルバムの名アルバムを制作。その後はソロ・アーティストとして活動を続けている。
稲妻のように、生き急いだひとりの青年を歌う・・・。
americansongwriter.comに、トンプソン自身が曲の解説をするインタビュー記事と、歌詞が掲載されています。いわく、この曲はシンプルな「ボーイ・ミーツ・ガール」を歌ったもの、らしいですが、なかなか歌詞を読んでみると面白いです。
若きジェームスが、1952年型ブラックライトニングを入手するために罪を重ねたこと・・・。オレは死ぬのは恐くないが、死んだらこのブラックライトニングを恋人の赤毛のモリーにあげるよと告げる・・・。ノートンやインディアンやグリーブスにはないが、この1952年型ビンセントには魂がある・・・とブラックライトニングに対する熱い想いを吐露・・・。なお、トンプソンにとってブラックライトニングは少年時代からの夢のモーターサイクルとのことで、その憧憬をこの歌に反映させたみたいです。
この曲は「Rumor and Sigh」というアルバムに収録されましたが、シングルカットされたわけではありません。それでもこの曲を好きなファンは多く、彼のソロ作品のなかでは最も有名な曲のひとつと言えるでしょう。こちらのムービーで、どのような曲なのかチェックしてみてください。