テクノロジーが変えた音楽視聴体験
音楽というコンテンツに、あまりお金をかけなくなってしまったのは、いつごろからだろうか。
iTunes Storeが音楽ダウンロードを世界的に事業化し、それ以来アルバムを買うことはあっても、アルバムを製作者の思い通りの順番で聴く、ということはなくなった。
iPodに大量に保存した楽曲たちは、アルバムだとかアーティストの枠を超えて、ひたすらランダムに再生される。それは本当に”適当な”ランダム再生だったのだが、僕たちは何かしらのアルゴリズムの存在を感じた。なぜなら、適当に再生されているわりには、僕たちの”気分”にたいていはマッチして、受動的に聞いている音楽はとても気持ち良かったからだ。
(実際には気分にそぐわない曲は指先でスキップしているのだが)
アルバムを作る側としては、一生懸命作った音楽を、一生懸命考えて順番を決め、一貫性を持たせて、アルバムという一つの作品にしているのだが、iPodは(iTunesは)その努力を無にした。
僕はプリンスが大好きで、彼のアルバムはたいてい持っている。最もよく聴いたのは代表作である『パープルレイン』であり、これならいまだに再生される楽曲の順番もしっかり覚えている。
しかし、実際の聴き方としては、(最も好きな曲である)「When Doves Cry」のあとにJBの「Sex machine」が流れ、エミネムの「Lose yourself」が続いたりする。意図してではなく、ファンクやR&B、Hip Hopが好きな僕が普段聴く曲がランダムに再生されていくだけだ(いや、いまでは本当にランダムというよりも、再生回数やスキップの回数などと、もちろん楽曲のジャンルの相似性などを鑑みるアルゴリズムがある、と思うが)。
このおかげで、逆に、これまではタンスの奥にしまわれてしまったような感じで、買ってから数年たつと聞かなくなってしまったような曲であっても、偶発的に再生されることが増えた。すると、新しい曲を買わなくても、ストックされていく膨大な楽曲の中でアルゴリズム任せで再生し、それを聞き流しているだけで十分な感じになっている。なにも新しい曲をお金を出して買うまでもない。忘れていた昔の曲が、時代を巡っていまの感じにループしていることがあるからだ。
(ちなみに、プリンスがジェームズ・ブラウンの影響を相当にうけていることは周知の通りだと思うが、両者ともいまだに新しく、ユニークな存在で、彼ら以上に気になるアーティストが僕にはいない。一曲ずつのミニマムな単位なら、惹かれるアーティストはいるが、総体的に見るとファンになる、というところまでたどり着けないのだ)
コンテンツというコンテンツに同じ傾向が・・。
ある意味、この形は、Facebookに代表されるソーシャルメディアのタイムラインなどにも同じような傾向として表れている。
音楽の場合、iPod(いまでは音楽端末ではなくソフトウェアとしてiPhoneに組み込まれたiTunes)に保存する、もしくはダウンロードする曲としては、好きなアーティストだからという理由だったりするものの、一旦取り込まれてしまったら、あとは基本的にソフトウェア任せに適当な組み合わせで再生されるだけだが、友人たちのアカウントをFacebookに登録したら、あとはプログラムに任せてニュースフィードに表示される情報を読むだけだ。
iTunesを使って好きなアーティストごとやアルバムごとにフィルタリングして、自分好みに再生順序を作り込むユーザーもいるだろうが、たいていは適当のままだし、FacebookでもTwitterでも気になる友人・知人のマイページ(Facebookページを含む)にアクセスして、興味の対象をまとめて閲覧することもできるものの、そういう使い方をするユーザーはかなりレアだ。
そして、現在では(経済にせよ政治せよエンタメにせよ)ニュースをソーシャルメディア上で読む、という消費者は激増しているように、ニュースサイトや新聞、雑誌といった塊のメディア=パッケージ(音楽でいうアルバム)ごとにコンテンツを消費するユーザーは非常に少なくなっている。
これは良質なドラマや映画のような、数十分単位で消費者を拘束する(拘束できる)ほどのパワフルなコンテンツでなければ、パッケージ単位(テレビの前に座らせる、映画館に足を運ばせる)ということは難しい。それだけの力を持たせるには、巨額なコストをかけて制作される必要がある。
(ソーシャルゲーム系が、いまや億単位の予算を必要とするのも同じ理由だ)
要するにだ。
コンテンツは、どのような形であれ、短く簡潔なフォーマットで、アルゴリズムを持つプラットフォーム(iTunesやSpotifyなどのや、Facebookなど)上で、分散的に消費されやすい形にアジャストしていくか、それとも巨額のコストをかけて自前のパッケージを消費者に受け入れられるほど強力で高品質なコンテンツに仕上げるか、ふたつにひとつとなっている。
コンテンツプロバイダーは、どちらの道をいくか、真剣に考える必要があるだろう。