日本初の本格舗装サーキットとして1962年に誕生した鈴鹿サーキット。この場所では今日まで数々の名ドラマが繰り広げられてきました。

写真を中心にお届けいたします。

画像: 水谷勝選手が1982年に7連勝して全日本選手権500ccクラスを制覇したときの愛機、スズキRGB500の心臓部。この時代は段付きのスクエア4のレイアウトになっているのが特徴です。

水谷勝選手が1982年に7連勝して全日本選手権500ccクラスを制覇したときの愛機、スズキRGB500の心臓部。この時代は段付きのスクエア4のレイアウトになっているのが特徴です。

画像: 市販レーサーのスズキRGB500に、ファクトリーのRGΓのパーツをふんだんに盛り込んだ仕様です。タイヤこそ溝付きのブリヂストン・バトラックスですが、それ以外はレース車検のステッカーまで、当時そのものの状態を保っています。なお水谷さんによると、当時のレーシングスリックタイヤよりはるかにこちらのタイヤのほうがグリップが良いとのこと、

市販レーサーのスズキRGB500に、ファクトリーのRGΓのパーツをふんだんに盛り込んだ仕様です。タイヤこそ溝付きのブリヂストン・バトラックスですが、それ以外はレース車検のステッカーまで、当時そのものの状態を保っています。なお水谷さんによると、当時のレーシングスリックタイヤよりはるかにこちらのタイヤのほうがグリップが良いとのこと、

画像: 残念ながら、RGB500のシリンダーに焼きつきが発生し、日曜日は走行できなくなってしまった水谷さん(右)。日曜日はファンサービスに励みつつ、日本のレジェンドたちのアテンド役をしていました。左からモトクロス界のレジェンド吉村太一さん、"シャケさん"ことexスズキ・ヤマハの名ライダー、河崎裕之さん。そしてスズキの重鎮岡本さんです。

残念ながら、RGB500のシリンダーに焼きつきが発生し、日曜日は走行できなくなってしまった水谷さん(右)。日曜日はファンサービスに励みつつ、日本のレジェンドたちのアテンド役をしていました。左からモトクロス界のレジェンド吉村太一さん、"シャケさん"ことexスズキ・ヤマハの名ライダー、河崎裕之さん。そしてスズキの重鎮岡本さんです。

画像: KR(ケニー・ロバーツ)on KR(500)の図。1982年の日本GPでは、カワサキKR500が参戦することで久々に全日本における4メーカー500cc対決が実現する・・・はずでした(台風のために中止)。

KR(ケニー・ロバーツ)on KR(500)の図。1982年の日本GPでは、カワサキKR500が参戦することで久々に全日本における4メーカー500cc対決が実現する・・・はずでした(台風のために中止)。

画像: 4度目のGP500ccタイトルを獲得したコンビネーション。エディ・ローソンとホンダNSR500(1989年型)。ホンダファクトリーはやっぱり「ロスマンズカラー」が一番クールですね。

4度目のGP500ccタイトルを獲得したコンビネーション。エディ・ローソンとホンダNSR500(1989年型)。ホンダファクトリーはやっぱり「ロスマンズカラー」が一番クールですね。

画像: イベント最終日のパレード。エディとケニーはホンダのS600に乗り参加。整列して待機している状態なのに、クラクションをバンバン押して前のクルマを煽る?エディがウケました(笑)。

イベント最終日のパレード。エディとケニーはホンダのS600に乗り参加。整列して待機している状態なのに、クラクションをバンバン押して前のクルマを煽る?エディがウケました(笑)。

画像: 展示のみに終わった3台のヤマハYZR500。次回は万難を排して、走行する姿を鈴鹿に集ったファンたちに見せていただきたいものです。お客さんの期待に応えること以上に、現場では大事なことはないのですから・・・。

展示のみに終わった3台のヤマハYZR500。次回は万難を排して、走行する姿を鈴鹿に集ったファンたちに見せていただきたいものです。お客さんの期待に応えること以上に、現場では大事なことはないのですから・・・。

日曜日は雨予報が出ていたので、デモ走行を見ることができるのは土曜日だけになるかも・・・と多くの人が心配していましたが、良い方向で天気予報は大ハズレ。日曜日は太陽に祝福された1日になりました。

実は私宮﨑、ものすごい晴れ男なのです。今回、場内放送のコメンタリー(解説)として呼ばれた私ですが、私の晴れ男ぶりを聞きつけた関係者がその「特殊能力」を見込んで召喚したのかもしれません? コメンタリーの仕事ぶりが合格点だったかはともかく? 「てるてる坊主」としては良い仕事ができたのではないかと思います(苦笑)。

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