ファミリーナンバー "69" は彼自身の若き日のレースナンバーでした
WELCOME RACE FANS!! ダートトラックライダー/FEVHOTSレースプロモーターのハヤシです。世の中的には次男ニッキーのmotoGPでの活躍 (2006年最高峰クラスワールドチャンピオン) がおそらく最も良く知られるヘイデン一家ですが、アールと妻ローズ、その5人の子たち・・・3兄弟と2姉妹は、プロ・アマのレベルの差こそあれ全員がダートトラックレースを嗜むお家柄でした。
息子たちがやがてファミリーナンバーとして使うことになる "69" も、元はと言えばアールさんのレースナンバーです。競技者としては (本人いわく) パッとしなかった彼はいつでもクラッシュして天地逆にひっくり返っていて、それでも読める69を自身の固定ナンバーにしたという笑い噺。
"幸せなファミリーレーシングのあるべきかたち" を体現したヘイデン一家
子供たちがバイクに乗れる年頃になると、一家は週末毎に各地のダートトラックレース会場と自宅とを往復する生活を始めます。アールのモットーは、何があっても小さい人たちに声を荒げないこと、手をあげないこと。子供たちには平日はしっかり学業に励むこと (レース翌日の月曜も) を要求し、日々の練習では模擬レース形式を必ず取り入れ、勝てば必ずチェッカーフラッグを持ってウィニングランまでをさせることで、彼らは小さな成功体験を積み重ねていきます。
50ccから始めて60cc、80cc、125cc、250cc・・・それぞれ体格に合わせ、しっかり整ったマシンを用意してそれを当たり前に乗らせる環境を整えることが重要だとアールは言います。小さ過ぎる乗り物でしばらく代用、とか間を抜かすなどの近道はない、とも。しかし5人を走らせるとなると荷物の量も相当なものですね・・・。
本人たちの主体性を常に尊重するアールのスタイルが功を奏して3兄弟はメキメキと頭角を表し、地域のローカルレースから始めて全米規模のアマチュア大会まで、まさに勝ちまくります。次男ニッキーにスポットが当たることがほとんどで日本では知られていませんが、アマチュアからプロに昇格する頃、長男トミーはニッキー以上の実力・・・ "恐るべき次世代の才能" とまで評されていました。
その後AMAロードレースでもそれぞれがシリーズチャンピオンを獲得するなど才能の幅を広げていった3兄弟ですが、その最も輝かしいリザルトのひとつが、2002年のGNCスプリングフィールドTTでの "ヘイデンズ表彰台独占" です。兄弟がトップ3を占めるのはアメリカ2輪レース史上初めてのことで、その後も今日までこの記録は破られていません。ここんちの一家を超える人材がそうそう出てくるはずもないので当然と言えば当然なんですけど。
息子たちが巣立ったあとは、さらに広く後進の若者たちをバックアップ
3兄弟がロードレースに活躍の軸足を移し、それぞれに自立したコンペティターとなって以降、アールはまず手始めに地元ケンタッキー出身の才能ある若いライダーたちを呼び寄せ、"ヘイデン流" トレーニングスタイルで原石にさらに磨きをかけることに情熱を傾けるようになります。若者たちが鍛錬を繰り返すヘイデン家のプライベートトラックサイドには、常にストップウォッチを携えたアールの姿がありました。
指導者としてのアールの観察眼は間違いのないもので、多くの若いライダーたちがこの地で研鑽を積み、才能を開花させていきます。"もう若手ではない" 3兄弟も時に彼らと共に走り、後進に惜しみなくアドバイスを与えました。このころにはヘイデン・ファミリーは "ヘイデン・クランズ ( = clans: 血縁を超えた氏族的繋がり )" などと呼ばれるようにもなり、兄弟が幼いころから名乗ったチーム名、アールズレーシングの名称とともに誰もが知る "一大流派" となっていきました。
2019年久々に開催されたケンタッキー州のAFTシリーズ戦では、グランドマーシャルを務めました。名誉職的意味合いですが、如何に当地で彼の存在が重視されているかを窺い知ることができます。
"Dad, you can rest when you die."
生前アールは幼い "ヘイデンズ" たちとのレース活動についてこう語っていました。
人々は私が子供たちをプッシュしてレースさせていると思っているようだけど、こちらからやらせたことなんて一度もないんだ。むしろ頼むからこの週末はテキサスのレースに行くのはやめて家でゆっくりさせてくれって彼らに懇願したりしてね。
子供たちはよく言ってたよ。
"父さん、死んだらゆっくりできるんだから、今は僕らをレースに連れてってよ!" ってね。
まぁ何事もやるだけやってみるものだね。
Godspeed, Haydens!