独フランクフルトの「IAAモビリティ2021」では、BMWのEバイクコンセプトの「アンビィ」シリーズが公開され、会場の注目を集めました。電動の乗り物としては、もっとも安価かつシンプルな部類に入るペデレック(電動アシスト自転車)とEバイクですが、今現在世界中で多くの製造業者が手がけるプロダクツの源流は、かなーり、昔からあったのです。

現代のEバイクに通じる、B.ボウデンのプロトタイプのコンセプト

Eバイクやペデレックの元祖には諸説がありますが、スロットルやボタンで制御せずに、普通に自転車のペダルを踏むことで電気モーターのアシストが得られる「電動アシスト自転車」が開発され、公開されたのはマイケル・クッター作のドルフィンEバイクが最初でした。同作は1992年、スイスのベロシティ社の協力により「ドルフィン」の名で市販されました。

そして1993年には、日本のヤマハがPASの市販を開始。PASの大ヒットにより、ペデレックは多くのメーカーが参入する成長市場となり、今ではスポーツタイプの自転車にも電動アシストシステムが採用されるようになっています。なお2026年度には、ペデレック含むEバイク市場は732億米ドル≒8兆1,932億3,940万円まで達するとも予想されています。

ベンジャミン・ジョージ・ボウデンが1946年に行われた「ブリテン・キャン・メイク・イット」という催しに出展した「未来の自転車」は、そのプロトタイプの仕様のまま販売されることはなかったので、Eバイクの元祖にはなれませんでした。ただ、その仕様は非常に興味深いもので、現代のEバイクにも通じるさまざまなメカニズムが採用されていました。

1946年、「未来の自転車」を持ち上げるB.ボウデン。1930年代アメリカで流行した「流線形」のスタイリングが多くの人の目をひきましたが、そのメカニズムにも注目すべき点がふんだんにありました。なおボウデン自身は、自作に「ザ・クラシック」という名を与えています。

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ボウデンのプロトタイプは一般的なチューブラーの車体ではなく、鏡面仕上げのアルミプレス製品を2つ貼り合わせた中空車体が大きな特徴でした。そのほかフロントフォークにはサスペンションを採用し、後輪駆動にシャフトドライブを用いるなど、ユニークなアイデアがふんだんに盛り込まれていました。

画像: 1946年にB.ボウデンが取得した特許の図。中空フレームの中にはバッテリーが収まり、ライト、ホーン、そしてラジオ!! に電力を供給しています。なおシート下には、インフレーター(空気ポンプ)や工具を収納することができました。 patents.google.com

1946年にB.ボウデンが取得した特許の図。中空フレームの中にはバッテリーが収まり、ライト、ホーン、そしてラジオ!! に電力を供給しています。なおシート下には、インフレーター(空気ポンプ)や工具を収納することができました。

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外観のユニークさに惹きつけられてしまうボウデンのプロトタイプですが、Eバイクが人気の今、とりわけ興味深いのはこの作品が回生システムを備える初のEバイクだった・・・ことでしょう。搭載された電気モーターは下り坂や平坦路では電気を回収し、10%の上り坂では電気モーターの力を使うことで、時速5マイル≒8km/hで走ることを可能にしていました。

画像: 後輪の駆動方式はシャフトドライブを採用。スピンドルを引き抜けば、簡単に後輪を取り外せるように設計されていました。 patents.google.com

後輪の駆動方式はシャフトドライブを採用。スピンドルを引き抜けば、簡単に後輪を取り外せるように設計されていました。

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なおこの作品を作ったときB.ボウデンは40歳でしたが、そもそも彼は1925年にルーツ・グループの自動車デザイナーとして働き始めたキャリアが示すとおり、自動車畑の人間でした。1945年に独立したボウデンはビジネスパートナーとともにデザインスタジオをレミントン・スパに設立。1947年には、ヒーリー・エリオットのボディをデザインしています。

一般的な構造の自転車として、製品化された「スペースランダー」

その独自性と先進性からボウデンのプロトタイプは評判になりましたが、英国の自転車メーカーでその製品化に手を上げる者はいませんでした。チューブラーの一般的な自転車に比べ、アルミプレスボディの自転車は量産が難しく、高コストなのが問題視されたのです。

そして、ボウデンに手を差し伸べたのは第二次ヤン・スマッツ政権の南アフリカ政府でした。政府はボウデンに、英国から製造に必要な材料を調達するための資金を提供。ついに「未来の自転車」が現実のものとして、人々の手に届くものになる体制が完成したかに思えました・・・。

画像: 米ニューヨークのブルックリン博物館に展示される、1960年製作のボウデン「スペースランダー」バイシクル。 en.wikipedia.org

米ニューヨークのブルックリン博物館に展示される、1960年製作のボウデン「スペースランダー」バイシクル。

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しかし・・・1948年に政権交代した南ア政府は急に物資の輸入を禁止し、ヤン・スマッツも1950年に死去。ボウデンは後ろ盾を失うことになり、私有していた唯一のプロトタイプを新政府に没収されてしまったのです・・・。

ただ、彼のプロジェクトはアフリカ大陸で潰えることはありませんでした。1952年にボウデンはアメリカに移住。そして1959年にジョージ・モレル社のジョー・カスキーに出会ったボウデンは、アルミの代わりにグラスファイバーでボディを作れば? というアドバイスを受けました。

グラスファイバーボディの採用とともに、ボウデンはバッテリーやハブモーター搭載を諦め、駆動方式も一般的なチェーン方式に改めることにしました。残念ながら時代を先取りした画期的なEバイクの形態ではありませんが、ボウデンはちゃんと自作を製品に昇華させることを1960年に達成したのです!

画像: 「スペースランダー」は1960年に、チャコールブラック、クリフスオブドーバーホワイト、メドウグリーン、アウタースペースブルー、ストップサインレッドの5色バリエーションで発売されました。 upload.wikimedia.org

「スペースランダー」は1960年に、チャコールブラック、クリフスオブドーバーホワイト、メドウグリーン、アウタースペースブルー、ストップサインレッドの5色バリエーションで発売されました。

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スペースランダーという商品名は、当時の米国とソ連の宇宙開発競争にインスパイアされて考案されたものです。デュアルヘッドライトとテールライトを備えるスペースランダーの価格は89.5ドルで、当時の自転車としては高価な部類でした。生産期間はわずか1年ほどで、台数は522台に止まりましたが、今日ではコレクターズアイテムとして好事家の間で高価格で取引されており、カルト的な人気を保っています。

なお1988年にはスペースランダーの権利を取得した自転車愛好家2人が、スペースランダーの耐久性問題を改良したレプリカを販売しました。そしてフロリダで余生を過ごしていたボウデンは、その10年後の1998年に91歳で亡くなりました。今、多くの人にEバイクが注目される時代が到来していますが、意欲のあるスタートアップ企業が権利を取得して、ボウデンのプロトタイプのスタイリングとコンセプトを復活させたEバイクを、製造販売してくれたら・・・ウケると思うのは私だけでしょうか・・・?

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