富士山麓の町、横走市で突然発生した未知の感染症によるアウトブレイク。勝ち目の薄い戦いに巻き込まれる横走中央病院の女性医師 玉木と、病原体の研究者 原神の悲壮な奮闘を描いた医療サスペンスの傑作です。本書を読めば、新型コロナウイルス感染症に必死に対抗する医療従事者たちの想いをより強く感じ取れると思います。

新型コロナウイルス感染症に揺らぐ現実を彷彿させます

都内の湾岸地域で発生したパンデミックに必死に立ち向かう医療従事者たちを描いた短編『Final Phase』をベースに長編化された作品。
作者の朱戸アオ先生は、もともと医療専門の方ではないそうで、『Final Phase』をモノにするために勉強されたんだそうです。先生には『インハンド』という同じく医療系の傑作コミック作品があり、元々医者か看護師の経験がある方なのかと思っていましたが、人間なにがきっかけで方向性が決まっていくかわからないものですねえ。

ちなみに、本作のタイトル『リウーを待ちながら』のリウーとは、フランスの作家アルベール・カミュの『ベスト』の主人公である医師のリウーから来ています。リウーは突然のペストの流行に次々と感染していく人びとを救うために奮闘する医師ですが、本作の主人公の1人、医療研究者の原神がこの『ペスト』を愛読していて、心折れそうになりながらも必死で患者を救おうとする玉木医師の姿にリウーの懸命さを重ね合わせたということなんだと思います。

『ペスト』では突然の流行はやはり突然に終息し、リウーの周囲に重い傷跡を残しつつも危機は去るのですが、いつ何時再び恐ろしい伝染病の猛威が人類を襲ってくるかはわからない、とても不確実で不条理な世界に我々は生きているという事実を浮き彫りにして終了します。そして、本作『リウーを待ちながら』もまた、同じように 哀しく無惨な多くの犠牲をもたらした病の流行の終わりは突如やってきます。戻ってきた日常にすぐに慣れ始めてしまう市民たちですが、いつ再び恐ろしい病魔が襲ってくるかは誰にもわからないままなのです。

しかし、いつか来るかもしれない恐怖に怯えながら生きていくことはあまりにつらいです。むしろ、過ぎ去った恐怖を忘れ、いつか来るかもしれない惨劇に備えないでいることが、日々を楽しく明るく暮らしていける秘訣なのかもしれないとさえ思います・・・。

(危険だからやめろ!と言われてもバイクを降りることがないバイク乗りのサガと同じですかね。いつか事故るかもしれないと思いながらも、そんな災厄が自分の身に降りかかるなんて思って乗ってないですからね、確かに)

ウイルス感染症の発生から収束までの流れを頭に叩き込める作品

前述の通り、本作は短編『Final Phase』とほぼ同じストーリーです。感染が流行する場所や、病原体そのもの、登場人物の名前などはもちろん変わっていますが、大方同じと言っていいです。主人公のキャラや、ラストまでの流れに至るまで、ほとんど同じストーリーと思っていいです。

でも、トーマスとしては、両方を読むことをオススメします。なぜなら、ウイルスにせよ、感染症を発生させる細菌にせよ、伝染性の病によるパンデミック もしくはアウトブレイク は、基本的にいつでも同じような動き(カオスと一緒で、同じように見えるけれど、同じではないわけですが、逆に言えば違う動きに見えても共通する法則というか再現性があるわけです)をするので、ある程度の対策はできることになります。つまり、『Final Phase』と『リウーを待ちながら』も、同じようなストーリーですが、前述のように病原菌も違うし発症形態も違うわけで、全く異なる病への対処なれど、そこに立ち向かう人々のやり方は同じです。(言ってみれば、新型コロナウイルス対策のためにしていることは、風邪やインフルエンザの予防にもなるということ!)

そう思って視野を広げると、パンデミック物の傑作の一つ、ソダーバーグ監督の傑作映画『コンテイジョン』も、感染流行の発覚から大流行、そして終息まで基本的な流れや覚えておくべき知識も同じです。(誰かのためというよりも、職業意識もしくはプロとしての自覚でもって恐怖にたちむかっていく人々の姿を見られるのも一緒です!)

そういう意味で、この手の医療パニックストーリーはとにかくたくさん見ておくに越したことがないなあと思うトーマスですが、特にこの朱戸先生の作品群は、いたずらに恐怖を煽ったりするスリラー系、ホラー系の粉飾は少なく、とてもリアルでだからこそ怖い、よくできた創作です。(あ、『コンテイジョン』を始め、そんないい作品はいっぱいありますよ、当然ですが)

是非とも在宅時間の有効的な使い方の一つとして、この『リウーを待ちながら』をお読みくださるよう、お願いします。

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