全日本選手権を統括するMFJ(一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会)は、2021年シーズンから"赤ゼッケン"を復活!? させることを公表しました。全日本ロードレース選手権とモトクロス選手権の2020年度1〜10位は、従来は認めていた希望ゼッケンはNGとなり、赤地に白文字で1~10番を指定するというものなのですが・・・その意図はどこにあるのでしょうか?

"色"については、世界ロードレースGP(現MotoGP)では1992年以降「自由化」

古くからの2輪モータースポーツファンは、開催クラスごとに異なるゼッケンの仕様を義務つけていた時代のことを、よく覚えていらっしゃると思います。

現在のMotoGPの前身、世界ロードレース選手権は1991年までゼッケンの色の規定していました。当時存在した各クラス・・・500ccは「黄色地に黒文字」、250ccは「緑地に白ヌキ文字」、125ccは「黒地に白ヌキ文字」をフェアリング/シートカウルの3面に貼ることを規定していました。

余談ですがそれより前の時代・・・1980年代前半に廃止された350ccクラスは「青地に白ヌキ文字」、50/80ccクラスは「白地に黒文字」が指定されていました。

画像: 1991年の日本GP500ccクラス。先頭からミック・ドゥーハン(ホンダ)、ケビン・シュワンツ(スズキ)、ウェイン・レイニー(ヤマハ)、ジョン・コシンスキー(ヤマハ)。当時の最高峰クラスは、黄色字に黒数字が指定されていました。 en.wikipedia.org

1991年の日本GP500ccクラス。先頭からミック・ドゥーハン(ホンダ)、ケビン・シュワンツ(スズキ)、ウェイン・レイニー(ヤマハ)、ジョン・コシンスキー(ヤマハ)。当時の最高峰クラスは、黄色字に黒数字が指定されていました。

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世界ロードレースGPは1992年から、主にスポンサーへの配慮から各クラスで定められていたゼッケンの色に関する規定を廃止し、自由に地色と文字色を選べるようになりました。その流れはMotoGPとなった今に至っていますが、これはスポンサーカラーを引き立たせるには"邪魔"な要素になっていたゼッケン色は指定しないですよ・・・という興行的な忖度というわけですね。

また、かつては故バリー・シーンの「7」くらいだった"パーソナルナンバー"も、バレンティーノ・ロッシの「46」とか、ホルヘ・ロレンソの「99」とか、マルク・マルケスの「93」などのように、今日では当たり前のものになって久しいです。

かつては前年度のランキングに応じてチャンピオンナンバー「1」以下を割り当てる・・・という制度・文化が当たり前のものとしてあったワケですが、グッズ作り的にはパーソナルナンバーがあった方がライダーたちの利益になるという考え方が浸透し、今ではすっかり「パーソナルナンバー当たり前時代」になっているワケです。

画像: 1993年、日本GP500ccクラスを走るケビン・シュワンツ(スズキ)。ゲン担ぎから「7」をパーソナルナンバーとして使ったバリー・シーンの次に、パーソナルナンバーに固執したのが「34」を使ったシュワンツでした。そんな彼も、悲願の500ccタイトル獲得翌年の1994年は、チャンピオンナンバーの「1」を愛機に貼りました(ただし、「1」のなかに「34」を入れてましたが)。 en.wikipedia.org

1993年、日本GP500ccクラスを走るケビン・シュワンツ(スズキ)。ゲン担ぎから「7」をパーソナルナンバーとして使ったバリー・シーンの次に、パーソナルナンバーに固執したのが「34」を使ったシュワンツでした。そんな彼も、悲願の500ccタイトル獲得翌年の1994年は、チャンピオンナンバーの「1」を愛機に貼りました(ただし、「1」のなかに「34」を入れてましたが)。

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世の潮流に、あえて従わない・・・?

12月2日に発表された、全日本選手権を統括するMFJの発表・・・「2021全日本選手権のゼッケンナンバーについて」は、上述のような「世の中の流れ」に逆らう内容だったため、多くの関係者を驚かせているようです。

ライダー主役のレース展開としてライダーを知ってもらうために以下の変更を行います。
2021年からの全日本選手権ゼッケン について
・2020全日本選手権シリーズ各クラスのランキング順をもとに、ゼッケンナンバーを指定します。よって指定ゼッケンの変更制度(希望ゼッケンの申請受付を廃止します。)
・各クラス 前年ランキング1~10位 のライダーのゼッケンプレートカラーを変更します。(各種目、各クラス共通)
1位~10位 ・・・赤地に白文字のナンバープレートカラー
11位以降 ・・・・各クラス指定されたナンバープレートカラー
補足
全日本モトクロス・トライアル・エンデューロ選手権国際 B級、インターナショナルB級クラス、スーパーモトには上記 ナンバープレートカラーは適用されません。

つまり全日本選手権の、ロードレースのJSB1000、ST1000、ST600、J-GP3の4クラス、そしてモトクロスのIA-1、IA-2、レディースの3クラスは、2020年度ランキングに準じて1〜10位に1〜10番の数字を割り振り、ゼッケン色は赤地に白ヌキ文字を指定する・・・ということです。MFJはこの変更の理由を、「わかりやすさ」の向上と説明しています。

MFJでは、2021年から全日本選手権(ロードレース・モトクロス・トライアル・スーパーモト・エンデューロ ・スノーモビル)の各シリーズのあらたなファン獲得および二輪レースの認知度向上を目指し活動を強化していきます。
オートバイのレースを知らない新規ファン獲得の一助に、スポーツとして、だれが速いライダーなのかをわかりやすく訴求し、ライダーにスポットライトが当たるように、メディア媒体とWEB放送を中心にSNS連携を含め発信強化を図ります。

確かに、モータースポーツ初見の方にとっては、前年度実績で"速い"とされる人順に「1」から番号が割り振られている・・・そして赤ゼッケンは前年度ランキング10位以内の選手なんだ・・・というのがわかりやすいのは、観戦の際の参考になると言えるでしょう(そのシステムを十分周知させる取り組みも必須ですが)。

一方、スポンサーカラーを際立たせることを阻害するおそれのあるゼッケン色の指定、またスポンサーにちなんだ番号や選手個人のパーソナルナンバーを使えないことは、商業的・広告的デメリットとスポンサーやエントラント側に捕らえられることは否めないかもしれません・・・。

画像: 2020年の全日本ロードレース選手権最終戦(鈴鹿)、ST1000クラスで優勝した、名越哲平(MuSASHi RT HARC-PRO)。武蔵精密工業と長年パートナーシップを結んでいるハルクプロは、長らく"武蔵"=634の番号を使っていましたが、2021年度の全日本選手権ST1000で名越選手には、ランキングに準じた「2」が割り振られています・・・。 www.honda.co.jp

2020年の全日本ロードレース選手権最終戦(鈴鹿)、ST1000クラスで優勝した、名越哲平(MuSASHi RT HARC-PRO)。武蔵精密工業と長年パートナーシップを結んでいるハルクプロは、長らく"武蔵"=634の番号を使っていましたが、2021年度の全日本選手権ST1000で名越選手には、ランキングに準じた「2」が割り振られています・・・。

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そもそもなんで、「赤字に白ヌキ文字」・・・?

そこまで深く考える人は少ないかもしれないですが(苦笑)、なぜMFJは新制度施行にあたり、前年度ランキング1〜10位の有力選手たちに「赤字に白ヌキ文字」のゼッケンを義務つけたのでしょう?

古くからの2輪モータースポーツファン・・・ぶっちゃけ、"お爺さん"世代ではないとピンとこない話かもしれないと思いますが、かつて全日本選手権では、「赤字に白ヌキ文字」のゼッケンはMFJが統括する全日本選手権では特別な意味を持っていました・・・。

1961年創設のMFJは、1967年から全日本選手権ランキング制度をスタートしていますが、その黎明期にはアマチュア/ジュニア/セニアとレベルに応じた区分を用いていました(※1970年以降は、アマチュアはノービスに改称)。

最上級のセニア・・・Senior(シニア)を日本風英語表記? でセニアと呼んでいたわけですが、当時の全日本のセニアクラスは言うまでもなく、すべてのモータースポーツ参加者・観戦者の憧れの存在でした。その象徴である"赤ゼッケン"は・・・これは推察含みで恐縮ですが、当時の世界ロードレースGP最高峰の500ccクラス=セニアクラスに由来するものでしょう。

画像: 1957年の世界ロードレースGPの1シーン、リベロ・リベラーティとジレラ4気筒500cc。 www.succesbod.com

1957年の世界ロードレースGPの1シーン、リベロ・リベラーティとジレラ4気筒500cc。

www.succesbod.com

1962年の鈴鹿サーキット開場以降、日本のモータースポーツは本格的発展を遂げていくことになるわけですが、その制度設定のモデルとなったのは海外の先達たちの文化でした。1950年代、日本にモータースポーツを普及させようとした先人らは、当時まだ世界ロードレース選手権の1戦であり、最高の舞台として認知されていたマン島TTなどを視察しました。

1960年以降、最高峰のセニア(500cc)クラスは先述のとおり「黄色地に黒文字」を使うようになりましたが、日本の視察団が見た1950年代当時はまだセニアクラスが「赤地に白ヌキ文字」を使っていた時代でした。1960年代はまだ500cc以上の排気量が日本国内の市場ではポピュラーではありませんでしたが、最高峰という意味合いで500ccという排気量はさておき、技量で最上級のクラスを当時のMFJは「セニア」と規定し「赤地に白ヌキ文字」を指定色に規定したものと推察されます。

余談ですが1960年代の国内ロードレースでは、"ウォームアップ"としてサーキットのメインストレート上でグルグルとマシンを走らせることを行なっていました。これも、当時のマン島TTなどで行われていた"ウォームアップ"を模倣したものだと推察できるでしょう(下に紹介する動画の2分8秒以降では、1958年ノースウェスト200での"ウォームアップ"を見ることができます)。

画像: Tribute to Bob McIntyre youtu.be

Tribute to Bob McIntyre

youtu.be

その後ロードレースでは1979年から、そしてモトクロスでは1980年から区分としてセニアの代わりに「国際A級=IA」が使われることになりますが、ロードレースでは伝統の"赤ゼッケン"は1980年代をとおし最高峰の証として使われ続けました。そしてモトクロスでは近年、そのレースの時点でのランキングトップの選手に赤ゼッケンをつけることを義務付けしていました。

画像: 1989年、TBCビッグロードレースをヤマハYZR500で走る平忠彦。赤ゼッケンに、スポンサーのTECH21にちなんだ21番を選んでいました。 www.facebook.com

1989年、TBCビッグロードレースをヤマハYZR500で走る平忠彦。赤ゼッケンに、スポンサーのTECH21にちなんだ21番を選んでいました。

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栄光の赤ゼッケンが、全日本選手権の認知向上に寄与することを願いたいです!

昔からの全日本選手権ファンからすれば、栄光の赤ゼッケンの"復権"は喜ばしいことかもしれません。一方、ライダー個人のファンとしては愛着のある数字であるパーソナルナンバーが使えないことを残念がる・・・と想像できます。

画像: 2020年、連覇で全日本モトクロス選手権IA-1を制覇した山本鯨(ホンダ、右)。伝統の赤地に白ヌキ文字のゼッケンをつけています。 www.honda.co.jp

2020年、連覇で全日本モトクロス選手権IA-1を制覇した山本鯨(ホンダ、右)。伝統の赤地に白ヌキ文字のゼッケンをつけています。

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希望ゼッケン番号を使えないこと、そして色が指定されていることが、各チームや各ライダーの活動にどのような影響を及ぼすのか・・・正直、チーム、ライダー、そしてファン側から今後色々な不満も出てくると思います。はたしてエントラント側がこのMFJの方針変更を素直に受け入れることになるのか・・・はわかりませんが、なんにせよ全日本選手権を盛り上げる方向で落着してほしいです。

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