「グーニーズ」も「バック・トゥ・ザ・フューチャー](https://screenonline.jp/_ct/17345757)ー」も共に1985年当時ハリウッドの寵児として飛ぶ鳥を落とす勢いだったスティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた大ヒット作です。従来のハリウッドのあり方を変えた男とも呼ばれるスピルバーグが80年代に起こした革命とはどんなものだったのでしょうか。(文・清藤 秀人/デジタル編集・スクリーン編集部)

1985年はスピルバーグにとってのエポック・イヤーだった

>>当時の宣伝ポスターにはスピルバーグの文字が!

映画界のあらゆる名誉を手に入れ、今も頂点に君臨し続ける生けるレジェンド、スティーヴン・スピルバーグ。TVムービー「激突!」(1971)でファンの度肝を抜き、「続・激突!カージャック」(1974)で衝撃の劇場映画デビューを果たし、「ジョーズ」(1975)で桁外れの興収記録を打ち立てた1970年代が彼にとってのプロローグだとしたら、続く1980年代はまさに〝スピルバーグの時代〞だったと言える。

何しろ、10年間で22作品をプロデュースし、9本を監督しているのだから。彼は1980年代のハリウッドを文字通り支配していたのだ。

画像: 80年代最初の大ヒット作となった「レイダース/失われたアーク」(1981)

80年代最初の大ヒット作となった「レイダース/失われたアーク」(1981)

画像3: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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そんな時代を代表する監督作と言えば、10年間の幕開けを飾った「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(1981)と「E.T.」(1982)に尽きると思う。前者は1930〜50年代に人気を博した連続活劇映画のアップデート版であり、後者は人類の宇宙への夢をリアルなファンタジーとして描き切ったジャンル映画の金字塔だ。

画像: 当時歴代ナンバーワンヒットとなった「E.T.」(1982)

当時歴代ナンバーワンヒットとなった「E.T.」(1982)

画像4: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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(C) 1982 & 2002 UNIVERSAL STUDIOS. ALLRIGHTS RESERVED.

一方で、スピルバーグは有り余る創作意欲をキャスリーン・ケネディー、フランク・マーシャルと共に立ち上げたプロダクション・カンパニー〝アンブリン〞の下で、製作総指揮という立場で実現していく。

「E.T.」の画期的なイメージショットがロゴになって映画の冒頭を飾るアンブリン作品は、「ファンダンゴ」(1985)に始まり、続く第2作の「グーニーズ」(1985)、第3作の「バック・トゥ・ザ・フューチャー 」(1985)、さらに「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」(1985)と連打され、ブランド・イメージを一気に確立していく。

画像: アンブリンの第1回作品「ファンダンゴ」(1985)

アンブリンの第1回作品「ファンダンゴ」(1985)

画像5: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

画像: 冒険ファンタジー「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」(1985)

冒険ファンタジー「ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎」(1985)

画像6: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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そう、彼のキャリアを紐解く上で、1980年代の中でも、特に1985年は製作者としての、そして、監督を他者に譲っても高い興収に繋げられるヒットメーカーとしてのスピルバーグのエポック・イヤーと言える。

製作作品も監督作品のように宣伝されて大ヒットするスピルバーグ現象

ここで、1985年度の日米映画興収記録をチェックしてみよう。北米興収では、ヒット量産コンビ、ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーの「ビバリーヒルズ・コップ」(1985)を抑えて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が2億ドル超を弾き出して興収トップに、「グーニーズ」が7位にランクイン。

一方、日本国内では、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が洋画のトップを奪取し(洋邦合わせてのトップは「子猫物語」)、「グーニーズ」が洋画の3位に食い込んでいる。すでに「E.T.」あたりから大ヒットの代名詞になっていたスピルバーグだから、日本での宣伝はまず彼の名前を前面に出すのがルーティンになっていた。

1985年「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の英国ロイヤル・プレミアに出席した時のスピルバーグ

Photos by Getty Images

スターではなく監督でもなくスピルバーグ⁉ このある種の禁じ手は、彼が製作し、トビー・フーパーが監督した「ポルターガイスト」(1982)でも、ジョー・ダンテが監督した「グレムリン」(1984)でも使われ、本当は監督していないのにどちらも〝スピルバーグ・プレゼンツ〞として大ヒット。

画像: 製作作品「ポルターガイスト」(1982)も大ヒット

製作作品「ポルターガイスト」(1982)も大ヒット

画像7: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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画像: 監督のように宣伝された「グレムリン」(1984)

監督のように宣伝された「グレムリン」(1984)

画像8: スティーヴン・スピルバーグが支配した1980年代のハリウッドとは?

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当然、それは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にも受け継がれ、1985年12月の公開が迫ると、宣伝が仕掛けた『スピルバーグがまたやった』というキャッチフレーズがすべてのメディアで溢れ返る。

おかげで、監督がロバート・ゼメキスだと知らないで映画を観に行ってしまったファンもいたとか。そんな現象を巻き起こしたのはスピルバーグだけ。監督がスターだったのだ。

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