暮れも押し迫る昨年12月30日、ダートトラック界はあるひとりの優れたライダーをトラック外で失い、哀しみに沈んでいます。我が国で20年以上、一時も休みなくこのスポーツの先頭集団を、ひたむきに淡々と走り続けた男の名は、山下勝敏。享年52歳。

追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

画像1: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

山下選手の乗るすべてのレース用マシンは常に完調を期して美しく正確にメインテナンスされ、トランスポーターの中だっていつも恐ろしいほどキチンと整えられていました。道具を用いるこのスポーツの競技者として、彼ほどその存在感と振る舞いで後進の手本となる指針を与えてくれた人物を、筆者は他に知りません。

画像2: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

シャイと言って良いほど寡黙な人柄でしたが、愛して止まないダートトラックレーシングのためには時としてきっぱりと雄弁でした。8年ほど前、その年度末での施設閉鎖を通告された国内最大規模の400mレーストラック。存続を願う署名を広く集めようという局面で、それは実のところ彼の勤め先本社へと提出されるものでしたが、ライダー仲間であると同時に社員でもある人たちを巻き込むことで、万に一つも彼らの社内でのキャリアや立場に影響することがないかと懸念する我々に対し笑顔で、"何も問題ない。ダートトラックのためならもし仮にそうなっても俺は一向に構わない" と力強く語り、慣れない署名活動に邁進された姿は、今も強く印象に残っています。

画像3: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

基本に忠実で美しい、鋭く精度の高いライディングパフォーマンスはまさに一級品。記憶の中のトップランカーたちの数々の名勝負の場面には、常にレースナンバー74・山下勝敏の姿がありました。

画像4: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

近年は日本各地のローカルダートトラックイベントを広く横断的に、分け隔てなく様々な場面へと精力的に足を運んだ山下勝敏選手ですが、筆者の主宰するレースシリーズFEVHOTSにおいても、2016シーズンには自身初となるグランドチャンピオン = 年間ランキング1位の総合王者を獲得。翌年はNo.1プレートを纏い、以降のシーズンでも優勝経験者の証である一桁数字 = 4 を、自身のパーソナルレースナンバーとして使用しました。

画像5: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

山下選手のトラック内外での紳士的な振る舞いと穏やかで頼もしい存在感は、我が国ダートトラックのたしかな良心と言えるものでした。弛まぬ研鑽と静かなる執念・努力がもたらした彼の技術、生涯情熱を注ぎ続けダートトラックレーシングを愛し、実に20年以上の長きに渡ったトップ選手としての活躍のすべては、背中を追い続けた他のライダーやレースファンの記憶に必ずや深く永く刻まれ、さまざまなかたちで次世代へと継承されていくことでしょう。

画像6: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

亡くなる前夜には親しいレース仲間との会食で、夜遅くまでバイク談義に花を咲かせていたとも聞きます。常日頃から自身を厳しく律していたように思える彼は、ダートトラック競技やレース活動以外のプライベートをやたらとオープンに披露する性格の人ではありませんでしたが、気心の知れた友人たちと直前まで濃密な空間・時間を共に過ごせたということからも、彼にとってそれは、あるいは幸せな旅立ちのかたちであったろう、せめてそうであって欲しいと心から願うばかりです。

画像7: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

私どもFEVHOTSは、今般逝去された山下勝敏選手の長年に渡るレースシーン最前線での活躍と、我が国ダートトラック界全体への多大な貢献の、ほんの一部を後世に伝えるためのささやかな方法として、彼が長年愛用したパーソナルレースナンバーとYamashitaの頭文字を組み合わせた "74Y" を、来る2020年開幕からシリーズ登録レースナンバーリストでの "永久欠番" とすることを決めました。

画像8: 追悼、レースナンバー74・山下勝敏。

Godspeed, farewell true champion of our hearts.

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