話題の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で半世紀ぶりに甦った『シャロン・テート殺害事件』。それは当時日本でどのように報じられたのか? この事件の本当の成り行きは?
映画雑誌スクリーンの1969~1970年の号に掲載された本事件の記事を読むと、意外な顛末が見えてきた!

ついに明らかとなった真犯人。その動機とは──?

1969年8月9日にハリウッドの高級住宅街ベルエアにある豪邸で何者かに惨殺された当時の新進女優シャロン・テートとその友人たち。難航した捜査だが、その年末になって真犯人として捕まったのがチャールズ・マンソンと彼の信望者たちだった。

スクリーン1970年3月号の記事『公判開始!テート事件と五人のヒッピー』という妹尾篤司氏によるレポートでは、この事件の公判の模様が描かれている。

前回までに触れていなかったが、シャロンとロマン・ポランスキー監督の夫妻のこの邸でお手伝いをしていた婦人が行方をくらましたり(後に警察の保護された)、夫妻の親友だった評論家が自宅で倒れているのを発見され、入院したが、快方に向かっていたものの11月にニューヨークで怪死するという奇怪な事件も続いていて、証拠品が多いにもかかわらず、捜査は困難になったという。

だがその後スーザン・アトキンズという21歳のヒッピー娘が別件で逮捕され、房に入っている時、同じ房の女囚にシャロン殺害事件の内容を語りだし、これをきっかけに事件解決の道筋が見えてきたという。

一年前の夏からロス北東のデスバレーと呼ばれる地区にヒッピーの男女十数人が住み着いた。自らを神と悪魔と名乗るリーダー、チャールズ・マンソンを絶対の存在とする彼らは、脅しやタカリを生計にしていた。

そしてマンソンはかつてシャロンの家の所有者だったテリー・メルチャー(大スター、ドリス・デイの息子)に仕事を売り込んでいたが拒絶され、彼を恨んでいたという。シャロンというより、マンソンにとってはこのテリー・メルチャーの家が憎しみの対象だったのかもしれない。

当時のスクリーン誌に登場していたシャロン・テート

アメリカ史・映画史に残る惨忍な事件

先述のアトキンズは次のように証言した。

マンソンの指示で8月8日深夜にシャロン邸に侵入した男性一人と女性三人(マンソン、アトキンズの他にチャールズ・ワトソン、パトリシア・クレンウィンケル、リンダ・カサヴィアンが逮捕された)。彼らは電話線を切り、まず車に乗ろうとした客の一人スティーブ・ペアレントを射殺し、次いでシャロンの友人フリコースキ氏、ジェイ・セブリング、アビゲール・フォルジャーを縛り上げ、殺害。最後にシャロンを寝室から連れ出し『赤ちゃんを産ませて!』と懇願する妊娠中の彼女をナイフで刺し殺したという。

あまりにも反社会的で特異な犯罪はアメリカ中を震撼させた。一連の犯行を指示したマンソンはロサンジェルス高裁から罪状の諾否をただされたが、『後日回答する』と答えただけ。そして自分自身で弁護人の役を務めると言いだしたが、これで公判は大モメになり一か月後に延期となった。

結局マンソンには1971年になって死刑判決が宣告されたが、のちにこれは終身刑に変更された。何度も仮釈放を申請したが、2017年に83歳で釈放されないまま生涯を終えている。アトキンズも09年に獄中死した。

またこの事件で一つあまり語られない話題だが、シャロンの父ポール氏は事件後に米陸軍中佐の役を辞任し、自らヒッピーに扮装して娘を殺した真犯人を探して4か月も独自捜査を行なっていたという。

後日談として、この公判の担当検事が後に作家となり、本事件のあらましを書いた著書『ヘルター・スケルター』が1976年に同名でテレビ映画化され、日本では1977年に劇場公開された。マンソンをスティーヴ・レイルズバックが演じている。

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