1909年、初めての国産のオートバイが誕生した。それから100年以上、あまたのモデルが世に出て、愛され、そして消えて行った。時代時代で光を放ったオートバイたち…。今となっては、もう写真でしか見ることができない車両もある。そんな、日本が誇るオートバイの歴史を紐解いていこう。「果たしてあなたは何台のオートバイを知っているだろうか?」

島津モーターNS 号1909 年

画像: ●空冷4スト単気筒●400cc

●空冷4スト単気筒●400cc

NS号のほとんどの部品は日本製の材料を使って、島津楢蔵によって製作された。これ以前の国産車は輸入部品を組み立てたものばかりで、純粋な国産車第1号はNS号ということになる。エンジンは4スト単気筒400cc。吸入は当時の外国車と同様、自動吸入弁。これはカムではなく、弱いバルブスプリングを使い、ピストンの吸入作用により自動的に吸入弁を開かせるというシステムだ。

ホンダ カブF 1952 年6 月

画像: ●空冷2スト単気筒●50cc●1PS/3600rpm●0.5kg-m/3000rpm●−●−●6kg(エンジン単体)●2万5000円

●空冷2スト単気筒●50cc●1PS/3600rpm●0.5kg-m/3000rpm●−●−●6kg(エンジン単体)●2万5000円

「白いタンクに赤いエンジン」のキャッチフレーズと販売店網の全国的展開により、発売1年を待たずして月産1万台を達成した自転車補助エンジンの大ベストセラー。すべてのホンダ車の祖である記念碑的な製品。2スト50ccのエンジンでは世界最軽量の6kgの重量と1Lで120km走るという経済性を両立。戦後混乱期の庶民の足となった。

宮田製作所 トライアンフ型アサヒ号 1913年

画像: 宮田製作所 トライアンフ型アサヒ号 1913年

アサヒ号はトライアンフをモデルにするが、エンジンや気化器、もちろんフレームまでがすべて宮田製作所の内製。エンジンはサイドバルブ方式の450ccシングルで、最高出力は3.5馬力程度だった。この第1号車は警視庁に納入されているが、量産市販には至っていない。

日本内燃機 ニューエラ 1928年

画像: 日本内燃機 ニューエラ 1928年

イギリスのJAP社からの輸入エンジンでスタートしたニューエラ号は、後に設計者の蒔田鉄司が自社製エンジンを開発し、1928年に完成。日本自動車自転車工場の略であるJACエンジンと名付けられた350cc単気筒はオートバイや三輪車にも搭載されている。

日本内燃機 くろがね号 97式側車付自動二輪1937年

画像1: 日本内燃機 くろがね号 97式側車付自動二輪1937年

1937年に陸王とともに陸軍の正式採用となったくろがね号。サイドバルブの空冷4ストV型2気筒エンジンの最高出力は12馬力程度。最高速は70km/hとされていた。

※諸元の並び順●エンジン形式●総排気量●最高出力●最大トルク●車両重量●前・後タイヤサイズ●価格(発売当時)

画像2: 日本内燃機 くろがね号 97式側車付自動二輪1937年

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