話題の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で半世紀ぶりに甦った『シャロン・テート殺害事件』。それは当時日本でどのように報じられたのか? この事件の本当の成り行きは? 映画雑誌スクリーンの1969~1970年の号に掲載された本事件の記事を読むと、意外な顛末が見えてきた!

猟奇的殺人事件犯人探し。犯人は誰?

1969年8月9日にハリウッドの高級住宅街ベルエアにある豪邸で何者かに惨殺された当時の新進女優シャロン・テートとその友人たち。現場には5人の無残な遺体と血の海に残された足型、ナイロンのロープ、近隣で悲鳴を聞いたという証言、ドアに残された『ブタ』という血文字。そんな有力な手掛かりがありながら、なかなか真相は判明しなかった。

9月になって犯人らしき人物がニューヨークにやってきたという証言も空振りで、事件の諮問委員会は『単独犯でなく複数犯である』こと、『麻薬が関係している』ことの二点を明らかにしただけで、ロサンジェルス警察の捜査では約600人の容疑者が捜査線上に上がり、半数の300人ほどに直接尋問したが、すべて結果はシロと出た(スクリーン1969年12月号)。

事件を報じた当時のスクリーン(1969年12月号)

シャロンの夫ロマン・ポランスキー監督は傷心で、『犯人逮捕のニュースを早く妻シャロンに聞かせたい』とロンドンで語っている。

10月になっても依然真犯人は上がらなかったが、警察が注目したのは、あるテレビタレントの20歳の娘がアパートの6階から飛び降りて死んだ事件を、LSDの影響による心神喪失の結果起きた事故死と断定し処理したこと。

というのも彼女が窓から身を投げた部屋にいた歌手のエド・ダーストンは、シャロンと一緒に殺されたボイテク・フリコースキ氏と交流があり、死んだ娘自身も同じく惨殺事件被害者のアビゲイル・フォルジャーと知り合いだったことが後から判明したのだ。麻薬というキーワードでシャロン事件とこの飛び降り事件が結びついたのだった(スクリーン1970年1月号)。

多くの人が注目した当時のスクリーン誌面

ダーストンに対してロス警察は厳しい取り調べをすることになったが、結局これも空振りだった。そしてポランスキー監督もゴシップに疲れ果て『シャロンに関するハリウッド人種の心無い中傷や無責任な憶測には怒り心頭だ』ということでロンドンに引っ込んでしまった。

そして年末も近い12月1日、男女のヒッピーが容疑者として逮捕されたことから事件解決の鍵は一気に開ける。逮捕された21歳の女性スーザン・アトキンズが事件のあらましを告白し始めたのだ。

ついに紐解かれる真相──

その夜、彼女を含めた男女5人が黒づくめの格好でシャロンの家に押し入り、車に乗ろうとしていたスティーヴ・ペアレントを射殺。窓から男が入り込み、内側から鍵を開けて侵入し、シャロン、ジェイ・セブリング、フリコースキ、フォルジャーの4名を次々惨殺したというスーザン。だが彼女の弁護士によると、スーザンは直接手を下していないという主張で、犯人たちが神、キリストまたは悪魔とも呼んで崇めている“教祖”の催眠術に踊らされていたというのだ(スクリーン1970年2月号)。

その教祖は34歳の小柄な男で、若いヒッピーたちを引き連れあちこちをさまよい、彼の命ずるままにヒッピーたちは罪の意識もなく、略奪や放火、泥棒などを重ねていたという。その教祖と言われる人物こそがチャールズ・マンソンだった。

やがてマンソンも逮捕され、前代未聞の公判が始まる…!

続きは近日公開。お楽しみに!

前編はこちらから

【前編】ワンハリのシャロン・テート殺害事件、50年前どう報じられてたのか?

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「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が描く『シャロン・テート殺害事件』とは?監督の解説付き

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