話題の映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で半世紀ぶりに甦った『シャロン・テート殺害事件』。それは当時日本でどのように報じられたのか? この事件の本当の成り行きは? 映画雑誌SCREENの1969年11月号を紐解いてみると……

衝撃の悪夢、その真相はいかに……

『残酷で、陰惨で、醜怪で、何ともやりきれない“真夏の夜の悪夢”のような殺人事件だった。あの可愛いスタア、シャロン・テートが無残にも殺されたのだ』

という言葉で始まるのが当時発行されたスクリーン1969年11月号に掲載された妹尾篤司氏による記事『ハリウッド真夏の悪夢』だ。

1969年11月当時のSCREEN表紙

この記事によると1969年8月9日の朝、西ロサンジェルス警察は『ポランスキー家の芝生に死体が……』という匿名電話を受け、警察が踏み込むと、そこには地獄絵図が展開していたという。その時ロンドン出張中で不在だったロマン・ポランスキー監督の夫人で女優のシャロン・テートが、何者かによって無残に殺害されていた。

映画ではこのベルエアにある豪邸を訪ねてきた(首謀者)チャールズ・マンソンに対して、『もうここにテリーはいない』という言葉が投げかけられるが、テリーとは人気女優ドリス・デイの息子テリーのこと。ポランスキーは実はここをテリーから賃貸していたのだ。そしてテリーとマンソンは面識があったという史実が映画にはいかされている。

シャロンは家を訪ねていた有名ヘアデザイナーのジェイ・セブリングと共に一本のロープの両端をクビに巻きつけられ、天井から吊り下げられていた状態だったという。しかも背中と胸をナイフで滅多斬りにされて……さらにコーヒー王フォルジャー家の跡取り娘アビゲール、作家で写真家のボイテク・フリコースキの死体は庭の芝生の上に、最後の被害者スティーヴ・ペアレントの死体は車の前部でうずくまっているように発見された。

全部で死体は五つ。他の三人が射殺だったのに対し、シャロンと彼女の元恋人として知られるセブリングが最も陰惨に、なにか宗教儀式的なものを感じさせる形で殺害されていたのだ。犯行推定時間は8月8日の午後4時から真夜中までの間と発表された。

警察は犯行の動機が全く分からず、まず事件の第一容疑者として同家の門番の少年を逮捕したが、証拠不十分で釈放(この少年は警察を訴えた)。また妊娠中だった愛妻の死を知らされた時は大声で泣いたというポランスキーも家に戻り、13日には葬式が行なわれ、ユル・ブリンナー、カーク・ダグラス、ピーター・セラーズ、ウォーレン・ビーティーといった友人が列席。セブリングの葬式にはスティーヴ・マックィーンらが列席した。

そして驚くべきはこの事件に続いて第二、第三の時間がロスで起きたこと。10日にスーパーマーケットの経営者夫妻が同じようなやり方で殺され、12日にはテレビで有名だった芸能人姉妹の父親がライフルで射殺される事件が相次いだ。そして17日第二の容疑者が逮捕された。それは当時ヒッピー族と呼ばれた若者で、麻薬中毒者のトマス・ハリガンという青年。事件当日シャロンの家にいた形跡があり、警察は今度こそと思ったものの、これもアリバイがあって空振りに終わった。

この後、警察が目を付けたのは死体を切り刻んだ手口からベトナム帰還兵ではないかということ、最近ベトナムから戻ったという男がこの家の付近を二人の女性を伴って現れ、例の最後に殺された門番の少年が、彼らが家から酒を窃盗するのをとがめた事実がある、という聞き込みなどで、この三人を追いかけはじめた。しかし9月になってニューヨークで他の容疑者が逮捕された。二人組で銃弾入りの拳銃を所持しており、一週間前までロスにいたという……

ここまでがこの号に掲載された事件の推移。思ったよりも難航する『猟奇的殺人事件犯人探し』のその先は?

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