1968年と1969年の日本グランプリで、プライベートレーシングチームの草分けとして日産、トヨタのワークスチームと渡り合い、ビッグマシンの時代を演出したのが滝進太郎率いるタキ・レーシング・オーガニゼーションである。とくに1969年日本グランプリでは同年の世界メイクス選手権を初制覇したばかりのポルシェワークスと提携、選手権獲得の主戦だった908と最新鋭マシンの917を参戦させて日産/トヨタ陣営を震撼させた。(写真は14号車ポルシェ917。ワークスマシンと呼んでいい体制だった)

ポルシェと日本グランプリは深い関係にあった

ポルシェと日本グランプリの関わりは古く、鈴鹿サーキットで開催された1963年の第1回日本グランプリに遡る。計10カテゴリーが開催されたこのレースに、ポルシェからカレラ2を筆頭に3台の356が出場した。

翌1964年の第2回日本グランプリには式場壮吉が904を輸入して、生沢徹駆るプリンス・スカイラインと伝説の名勝負をくり広げた。

そして富士に舞台を移した1966年の第3回日本グランプリには、当時のインポーターだった三和(ミツワ)自動車が、輸入を開始して間もない911のプロモーションのために、ディーラーワークスチームを仕立ててGTレースに参戦し3位に入っている。メインのグランプリには、滝の依頼で三和自動車が輸入を担当した906(カレラ6)が参戦したが、プリンスR380軍団の前に敗れている。

翌1967年の第4回日本グランプリに必勝を期し、三和自動車は2台の906を購入。酒井正が購入した1台とあわせてポルシェは3台体制で臨んだ。このうち、三和自動車の1台が生沢徹のドライブで日産R380を破って優勝。日本グランプリ優勝という栄冠を手に入れることになる。

インポーターとしては望外とも言えたこの大勝利を置き土産に、三和自動車はレースの表舞台から去り、1968年からはタキ・レーシング・オーガニゼーションのサポート役を務めることになる。

1968年の日本グランプリでは、タキ・レーシングが最新のポルシェ910やローラT70 Mk.IIIなどプロトタイプ5台を投入。排気量では日産、トヨタ、ローラのビッグマシンに劣るものの、信頼性の高さを発揮した2Lの910を駆った生沢が2位に入っている。

ワークス体制のポルシェ917も不慣れな富士の30度バンクに苦戦

前年の日本グランプリでビッグマシンの取り扱いの難しさを痛感したタキ・レーシングは、1969年、世界メイクス選手権を制覇した「世界王者」のポルシェをワークスチームごと招聘するという大胆な策に打って出た。

リコ・シュタイネマン監督とともに来日した車両は2台。1台は3L 水平対向8気筒エンジンを積むポルシェ908、もう1台が5L 水平対向12気筒を搭載する5月にデビューしたばかりの917である。908は、908/02と呼ばれるスパイダータイプのマシンで、この年の選手権獲得の原動力となったマシン。バリバリのワークスカーである。

一方、最新鋭マシンの917はポルシェが新しいメイクス選手権規定を受けて開発したクローズドボディのマシンで、ワークスのサポートを受け、本気で優勝を狙っていた。チームとともに2名のワークスドライバーも来日。エース格のジョー・シフェールがマシンオーナーのデビッド・パイパーとともに917に乗り、908の方はハンス・ヘルマンが田中健二郎とコンビを組んだ。

しかし、さすがのポルシェワークスとはいえ、30度バンクのある富士スピードウェイは初参戦。マシンの到着が遅れ、練習走行が雨に祟られたこともあって、十分な走行距離を稼げないまま本番を迎えることになった。

予選は日産、トヨタ勢の前に917が5位、908は14位という結果に終わった。迎えた決勝レース、917はシフェールが抜群の出足で日産勢をかわし、その後、トヨタ勢も攻略してレース序盤に首位を走る場面もあったが、6Lの排気量と富士を知り尽くした日産勢に逆転を許し、最終的には4周遅れの6位に終わる。908も7位となり、ポルシェとタキの挑戦は不発に終わった。

レース後、908/02はタキレーシングが購入し、日本国内のレースに数戦参戦。パイパーの元に戻った917は、その後917Kへと改修されて1971年の富士GC最終戦に現れ、生沢徹のドライブで2位に入っている。

画像: この年デビューしたばかりのポルシェ917。ル・マンで全車リタイア、日本グランプリでも日産、トヨタに敗れて6位に終わっているが、この経験を生かして翌年のル・マンを制することになる。

この年デビューしたばかりのポルシェ917。ル・マンで全車リタイア、日本グランプリでも日産、トヨタに敗れて6位に終わっているが、この経験を生かして翌年のル・マンを制することになる。

画像: 日本グランプリに出場したポルシェ917は、当時の有力カスタマーだったデビッド・パイパーが購入したマシン。ホモロゲーション取得用に製作された25台のうちの1台で、ワークスのフルサポートを受け、ほぼワークスマシンと言える状態で来日。本気で日本グランプリ優勝を狙っていた。

日本グランプリに出場したポルシェ917は、当時の有力カスタマーだったデビッド・パイパーが購入したマシン。ホモロゲーション取得用に製作された25台のうちの1台で、ワークスのフルサポートを受け、ほぼワークスマシンと言える状態で来日。本気で日本グランプリ優勝を狙っていた。

画像: 最新鋭のポルシェ917の参戦は大きな注目を集めた。後ろに見えるのはグループ6の908。

最新鋭のポルシェ917の参戦は大きな注目を集めた。後ろに見えるのはグループ6の908。

ポルシェ917(1969)主要諸元

●全長×全幅×全高:4290×2033×920mm
●ホイールベース:2300mm
●車両重量:800kg
●エンジン型式:912/4.5
●エンジン:空冷水平対向12気筒DOHC
●排気量:4494cc
●ボア×ストローク:85.0×86.0mm
●最高出力:580ps/8400rpm
●サスペンション:ダブルウィッシュボーン(上I アーム、下逆A アーム、ダブルラジアスアーム)
●ブレーキ:ベンチレーテッドディスク / ベンチレーテッドディスク

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